風俗ハンター雅 | ジョニー松山のブログ

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ジョニー松山と申します。宜しくお願いします。

序章

 

丁度、30年前、友人を失った。失った苦しみは癒えることなく今も俺の心の傷として残っている。あの頃はまだ未熟で、友人に親身になっていれば失う事も無かったと思ったり、友人がいなくても日常が続き、自分がふと居なくなっても誰も気づかないのではと思ったりもした。今となっては多感な十代の頃の友人の思い出は楽しいものと捉えて当時程自分を責めたり、傷は深いものではない。

 

友人が失踪していた頃の俺は、丁度、自動二輪車の免許を取りに行っており教習所に通っていた。教習場は自動二輪車のコースが新設されておりとても快適で運転しやすかった。スムーズに教習を受けることができた。友人とは一緒にバイクで日本一周をしようと約束をした。しかし、友人が今どこにいるかわからない以上、その約束は果たされてはいない。

 

彼は今どこにいるのだろうか・・・。

 

たまに空を見上げることがある。きっと彼も同じ空を見ているに違いない。友人と一緒につるんでいた仲間はそれぞれの地域の大学に進学していった。俺は、地元の大学に運良く受かったので一人で残ることになった。また、高校時代にみんなで友人を囲んで馬鹿みたいなことがしたいと思った。大学では高校の友人みたいに馬鹿みたいなことはできなかった。それは常に女子がいたからで、どうしても女子がいる手前、馬鹿な事は出来なかった。

 

友人を失った心を満たすために俺はサークルを何個も掛け持ちして、バイトも掛け持ちした。幸い好意を持ってくれる同級生もいたので充実したキャンパスライフと言えた。だが、高校時代、友人と夢を語ったり馬鹿話しができない虚しさがあった。どうせ、この女も大学を卒業したら地元に戻るわけだし、大学の友人も同様にこの街は仮の場所でしかないと、一人醒めた目でサークル活動をしていた。

 

煌びやかな大学生活に物足りなさを感じていたが、アルバイトはそれなりに楽しかった。地元の駅の近くに学生のアルバイトを斡旋してくれるところがあった。大きなボードに付箋サイズの紙に時給と仕事内容、場所と時間がかかれている紙があって、講義の合間や休みの日にアルバイトを入れることができた。一番やばいと思ったのが、港のコンテナふ頭に連れていかれて、謎の冷凍された箱をパレットと言われる木の板に48個(8段)積むバイトであった。それが何かはわからない。ロシア語で書かれており、日影がない真夏のコンテナふ頭で作業が続くが、なぜか2時間ごとの休み(10分)に怪しいワゴン車が来て250mlのぬるい飲料を1個250円で売るオヤジが来るのであった。当然、アルバイトに来ている人達は、弁当持参のみで来いと言われているので馬鹿高くぬるい飲料を買わざる得ないのであった。あのバイトは二度としたくないし、今おなじバイトが有ったら訴えられるような内容に違いない。

 

アルバイトで夏休みまでに数万貯めることが出来た。それで、夏休みになると大学の同級生や女は当たり前のように地元に戻っていくので、暇だ。なので東京にいる仲間Tの家に行こうと思った。普通であれば、Tに電話するなりして遊びに行くのであるが、驚かせようと思って突然行くことにした。Tに彼女がいても俺は普通に泊まるし、チャーハンを作ってやろうと思った。当然あまりお金を掛けれないので、朝から下道をひたすら走ることにした。

 

ここまでが俺が雅君と出会う前の話である。雅君に関しては、次の回で話したいと思う。Tもまた友人を失ったまま、東京の大学で一人で頑張っていたようである。この雅君との出会いで、私の人生は360度変わることになる(まあ360度なので変わってないのだが・・・)