DeBarge - Rhythm Of The Night (Official Music Video)

Debarge - Rhythm Of The Night

 

これまでにデバージを更新した回は、下記です。

 

渋谷に貸切パーティ・ルームでその名も「デバージ」というお店がありますが、

 

おそらく このデバージから引用したんでしょうね!!

 

リズミカルなナンバーで、デバージのVocalの歌声がとても好きです音譜

 

デバージ(DeBarge)は1980年から1989年に活動したデトロイト出身の音楽グループ。才能豊かなデバージ家の兄弟で結成されしばしばジャクソン家と比較される。

来歴[ソースを編集]

生い立ち[ソースを編集]

デバージ兄弟はフランス系の白人男性ロバート・デバージ・シニア(1953-1974)とアフリカ系黒人女性エッテレネ・アブニー(1935-)を両親に持ち、ミシガン州デトロイトで生まれ育った。

 

ロバートは結婚して間もないころから妻エッテレネに対して支配的な言動(DV)をするようになり、生まれてきた子供たちにも精神的、肉体的な虐待を繰り返した。妊娠させることで支配下に置いたのだとエッテレネは著書に書き、長女のバニーも7歳から13歳まで性的虐待を受けたと告白している。またロバートには他の女性との間に5人の子供がいたという[1]

 

エッテレネは1974年に離婚しプエルトリコ人のジョージ・ロドリゲスと再婚した。[要出典]デバージ兄弟は白人と黒人のハーフだが、プエルトリカンの父親を持ったことでラテン系との誤った見方をされることが多い。

デビュー~成功[ソースを編集]

兄弟が音楽活動を始めたのは、母親と共にデトロイトからミシガン州グランドラピッズに移った1970年代中頃からで、最初はランディ、マーク、エルドラ(エル)の3人で”SMASH”というバンドに参加した。そこに長女バニーが加わって、1979年に”The DeBarges”という独自のグループをスタートした。同じ時期の1976年、兄のボビーとトニーが結成した”Switch”は100万枚の売り上げを記録した[2]。彼らの活動を見ていたモータウン創設者のベリー・ゴーディJr.はその年のうちにデバージ兄弟と契約を交わした[3]

 

モータウンで2年間修行した後、1981年にデビューアルバム”DeBerges”をリリース。「ジャクソン5の再来」と期待されたがファーストアルバムはさほど注目されないまま終わった。翌年の1982年、七男のジェームズを迎え入れるとともにグループ名をデバージ”DeBarge”に改名。

 

セカンドアルバム「ALL THIS LOVE」を発表すると、ファーストカットの「アイ・ライク・イット」(ランディ、バニー、エルの3人の作曲)がR&Bのシングルチャート2位に、ビルボードのアダルトコンテンポラリーチャートで1位を記録し一躍スターダムに躍り出た。

 

そして1985年にリリースされた4枚目のアルバム「リズム・オブ・ザ・ナイト」が世界中でヒット。その中の”RHYTHM OF THE NIGHT ” はR&Bチャートのトップを飾り、同年5月の全米ビルボード100では「ウィ・アー・ザ・ワールド」、マドンナの「クレイジー・フォー・ユー」に次ぐ3位を記録し、モータウンが送り出した数々のヒット曲の中でも最も売れた曲となった。

この曲はもともとモータウンが製作した映画「The Last Dragon」(1984年 日本未公開)の主題曲として作られたもので、広く知られるようになったのは映画の宣伝やサウンドトラックの発売などの好条件が重なったおかげでもあった[4]

ソロ活動~解散[ソースを編集]

「リズム・オブ・ザ・ナイト」が大ヒットしたおかげでバニーとエルはデバージから脱退した、ソロデビューを果たした。続いてチコもソロアルバムデビューをする。モータウンが彼らをソロデビューさせたのは、他のメンバーの薬物依存に巻き込まれて兄弟全員が共倒れになることを危惧したという背景もある[5]。こうして人気メンバーが離脱していきこのままデバージを継続するのは商業的にも難しいと判断され、モータウンのレーベルから消えた。残った3人は長男ボビーと協力して「Bad Boys」をリリースしたが失敗に終わった。

 

1988年、ボビーとチコが麻薬の密売容疑で逮捕され、ボビーは5年間、チコは6年間服役した[6]。ボビーは子供の頃に父親から肉体的及び性的な虐待を受けていたことを告白しており、弟のジェームズに同様のことをしていたという。

 

そのジェームズは1984年にジャネット・ジャクソンと結婚したが1年で離婚した。その後ジェームズは何年も路上生活を続け麻薬中毒に苦しんだ。さらに長女バニーも薬物依存症であることを明かし、エルは女性ファンから性的暴行で訴えられるなどのトラブルが続く[7]

こうして1989年にデバージは解散した。

 

解散後、エルは2001年に麻薬所持により逮捕されており、2009年までに何度も刑務所を出入り保護観察下に置かれた。2010年にカムバックを果たしアルバムはグラミー賞にノミネートされた。しかし57歳になった2018年、仲間との口論からバールで車のフロントガラスを叩き割る事件を起こし器物損壊の容疑で逮捕された。保釈金2万ドル、勾留は一晩だけだったという[8]

 

「Rhythm Of The Night / De Barge」