マシンガン コモドアーズ
Commodores - Machine gun (SoulTrain)
初登場のコモドアーズ
ライオネル・リッチーも在籍していた名グループですが、
まさか、全日本プロレスで使用されていた次シリーズ紹介時に使用されていた曲がコモドアーズだったとは、知りませんでした
コモドアーズ (The Commodores) はアメリカのポップ、ファンクバンドである。 1970年代から1980年代にかけて活躍。1967年、タスキーギ大学の学生による2つのバンドのメンバーが合流して結成された[1]。1971年にジャクソン5のライブツアーのオープニングアクトを務めて注目され[1]、その後モータウンとの契約を得て、1974年にレコード・デビューした。
グループ名は、ウィリアム・キングが辞書を開いてアットランダムに調べた結果、「コモドアーズ」に決まったとメンバーはピープル・マガジンに答えている[2]。
1974年のデビュー・アルバムは、全編ファンク/ダンス・ナンバーで固められていた。ファンキーなダンスナンバー「マシンガン/Machine Gun」[3]と「ザ・バンプ/The Bump」は、日本で小ヒットになった。
1975年にはファンク・ナンバー「スリッパリー・ウエン・ウェット」がアメリカでヒットしたが、早くもリッチーのポップ色が強くでた「スウィート・ラヴ」もヒット。77年にはファンク「ブリック・ハウス」とバラード「イージー」を発売した。
1978年ごろには、バンドは元々のファンクスタイルを捨て、ますますより売れ筋のポップ・ミュージックに傾倒していった。
バンドはメンバーの入れ替わりが激しく、ライオネル・リッチーがソロ活動をメインに据え脱退すると、新しいボーカルに元ヒートウエーブのJ.D.ニコラスを迎え、ドラマーのウォルター・オレンジとのツインボーカル体制をとった。1984年にはリッチーに続いてマクラリーも脱退した。
1985年には「ナイトシフト/Nightshift」が全米3位となり、この曲でグラミー賞最優秀R&Bボーカル・パフォーマンス賞を受賞するが、これがグループ最後の全米トップ40ヒットとなった[4]。
そして、1986年にはロナルド・ラプリード、1989年にはウィリアムズが脱退した。
「Machine Gun / Commodores」