The Tracks of My Tears - Smokey Robinson & The Miracles

Smokey Robinson & The Miracles - Tracks Of My Tears

 

これまでにスモーキー・ロビンソンを更新した回は、下記です。

 

あまりにも素晴らしいメロウなソウル・ナンバーアップ

 

スモーキー・ロビンソンにしか出せない雰囲気

 

唯一無二の存在!!

 

 

スモーキー・ロビンソンWilliam 'Smokey' Robinson, Jr.1940年2月19日 - )は、アメリカミュージシャン。名門レーベル、モータウンの設立に参加し、長く副社長を務めた。ブラックミュージック界の大御所である。

ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」においてスモーキー・ロビンソンが第20位[1]

ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」においてザ・ミラクルズが第32位にランクインしている。

 

1965年、「ウー・ベイビー・ベイビー」と「トラックス・オブ・マイ・ティアーズ」がヒット。

同年11月発売のアルバム『Going to a Go-Go』からグループ名を「スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ」に変更。12月にシングルカットした「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」は後にローリング・ストーンズにカヴァーされた。

1967年発表の「涙のクラウン」は1970年に再ヒットし、ついに初の全米チャート1位の完全制覇を成し遂げた。

 

スモーキーは1972年にグループを離れ、ソロ活動を始める。ソロとしても「クワイエット・ストーム」、「クルージン」のヒットを出す傍らモータウン副社長の業務も続けた。一方、ミラクルズはスモーキーの後任のリード・シンガーとしてビリー・グリフィンを迎え、「ドゥ・イット・ベイビー」や、

1976年の「ラヴ・マシーン」(全米1位)などのヒットを放っている。

 

1981年には「ビーイング・ウィズ・ユー」が全米ビルボード誌2位[3]、全米キャッシュボックス誌1位、全英1位となった。(「クルージン」に引き続き2年連続でビルボード誌2位、キャッシュボックス誌1位という結果に終わった。ソロ名義ではついにビルボード誌だけが1位を取れなかった)

 

「The Tracks Of My Tears / Smokey Robinson & The Miracles」