Daryl Hall & John Oates - Kiss On My List (Official Video)
Kiss On My List
これまでにダリル・ホール&ジョン・オーツを更新した回は、下記です。
実に1年9か月振りのホール&オーツ
ダリル・ホールの美声、最高
1982年から洋楽を聴き始めました。
この曲は、1981年発表。
リアルタイムでは聴けませんでしたが、
アウト・オブ・タッチのヒットで存在を知り、1984年に初めて聴きましたが、
それからもう40年も経過したと思うと、ギョッとする
ダリル・ホール&ジョン・オーツ(Daryl Hall & John Oates)は、ダリル・ホールとジョン・オーツからなる、アメリカのブルー・アイド・ソウル・デュオである。ホール・アンド・オーツの略称でも知られる。
1972年にレコード・デビュー。音楽業界は厳しく、なかなか成功をつかむことができなかったが、74年にタヴァレスが「シーズ・ゴーン」をカバーし、作者の二人も注目されるようになった。
1975年8月に発表した4枚目のアルバム『Daryl Hall John Oates』がBillboard 200の17位を記録。翌1976年1月にシングルカットされた「サラ・スマイル」(1976)も全米4位を記録。
それから「シーズ・ゴーン」(1976)、「リッチ・ガール」(1977)(初の全米1位)、「イッツ・ア・ラーフ」(1978)、「ウェイト・フォー・ミー」(1979)などのヒットを連発した[2]。
1980年代以降も、「ふられた気持ち」[注 1](1980)、「キッス・オン・マイ・リスト」(1981)、「プライベート・アイズ」(1982)、「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」[注 2](1982)、「マンイーター」(1983)「アウト・オブ・タッチ」(1984)などがヒットし、ブルー・アイド・ソウルのジャンルで特に成功したデュオとなった[3]。
1985年に行われたライヴエイドに出演。長年憧れ、また友人でもあった元テンプテーションズのエディ・ケンドリックス、デヴィッド・ラフィンと共演している[注 3]。その後、1991年に活動停止したが、1995年に活動再開を果たした。現在は互いに音楽プロデューサーとしても精力的に活動を続けている。ベストヒットUSAに最も多く登場している。また、全米トップ10入りした楽曲(16曲)のうち半数(7曲)はダリルの元恋人であるサラ・アレンとその妹ジャンナ・アレン(1993年に白血病で亡くなっている)との共作である。
2009年にソングライターの殿堂、2014年にロックの殿堂入りを果たした。キャリア40年超で、TOP40ヒット29作、TOP10ヒット16作、No.1ヒット6作、プラチナアルバム8作、ゴールドアルバム6作、ゴールドシングル6作。総売上枚数は推定4000万枚以上の実績を残している。
- Kiss on My List:キッス・オン・マイ・リスト(1981年4月11日付〜4月25日付、3週連続全米No.1、同年年間第7位。様々なコンピレーションCDに収録される際、ラヴソングとして扱われる事が多い。ところが実際はアンチ・ラヴソングである。ダリル・ホール自身、「君のキスは最高に素敵な物の一つとしてリストに載っているけど、唯一無二ではない。そういう歌だからね。みんなは『君を愛している。君がいなければ僕は死んでしまう』という内容の歌だと思っているけど、本当はその正反対なのさ」と語っている。)
「Kiss On My List / Daryl Hall & John Oates」