David Lee Roth - Stand Up (Skyscraper '88)
David Lee Roth- Stand Up (Live Re-edit- 1988)
これまでにデヴィッド・リー・ロスを更新した回は、下記です。
guitarのスティーブ・ヴァイが際立っている
昨年10月に豊洲PITでスティーブ・ヴァイを見たが、
あまりにも素晴らし過ぎて、すぐに再来日を熱望
デヴィッド・リー・ロスの来日は、VAN HALENでの来日可能性が消えた今、
もう実現不可能なのだろうか?
スティーヴ・ヴァイ(Steve Vai、本名 Steven Siro Vai、1960年6月6日 -)は、アメリカのロックギタリスト、作曲家。フランク・ザッパ門下生の1人で、その中で最も商業的に成功したと言える人物。グラミー賞受賞。
フランク・ザッパ・バンド時代[ソースを編集]
高校で楽典や音楽理論を習得し、バークリー音楽大学に入学。在学中に養った採譜力をかわれ、フランク・ザッパのバンドの採譜役として雇われる[注釈 1][3]。
1980年10月から12月までのザッパの北アメリカ・ツアーから、正式にザッパのバンドにギタリストとして加入[4]。ヴァイに与えられたセクションネームは「Impossible Guitar Part」「Stunt Guitar」「Strut Abuse」などで、名前の通り主に作曲者ザッパの演奏不可能なパートを受け持つ。ライブのソロ・コーナーでは、聴衆やメンバーが持って来たミュージカルのスコアを初見で演奏する芸を披露[要出典]。
ザッパとの活動を続ける傍ら、セッションミュージシャンとして数多のアーティストとも競演する。
次いで、1981年9月から12月までの北アメリカ・ツアーと1982年5月から7月までのヨーロッパ・ツアーに参加。
1982年、ザッパの演奏をヴァイが採譜したものを集めて『The Frank Zappa Guitar Book』[5]が出版される。この年カリフォルニアに移住する。
1984年に、初のソロ・アルバム『フレクサブル』を発表。ザッパの84年ツアーには参加せず。
アルカトラス移籍からデヴィッド・リー・ロスのバンドへ[ソースを編集]
1984年、グラハム・ボネットのバンド、アルカトラスからイングヴェイ・マルムスティーンが脱退したため、後任として加入。
1985年、元ヴァン・ヘイレンのデイヴィッド・リー・ロスから誘いを受けて、バック・バンドに加入。アルバム2枚に参加した後、バンドを脱退。かねてより構想を練っていたソロ・アルバムの作成にとりかかる。
ソロ活動[ソースを編集]
1986年、元セックス・ピストルズのジョン・ライドンのバンド、パブリック・イメージ・リミテッドのアルバム『ALBUM』(CD版タイトルは『COMPACT DISC』)のレコーディングに参加(坂本龍一やジンジャー・ベイカー、ビル・ラズウェルらと競演)。
1986年、映画『クロスロード』(音楽監督は、ライ・クーダー)に悪魔に魂を売り渡したギタリスト「ジャック・バトラー」役で出演。終盤のギター対決では、テレキャスターを持ったギター少年「ユージン」と壮絶なギターバトルを展開する。
1989年、レベッカの12枚目のシングル「SUPER GIRL (SUPER REMIX)」にリード・ギターで参加[注釈 2]。
ホワイトスネイク加入[ソースを編集]
1989年、元ディープ・パープルのデイヴィッド・カヴァーデイルが結成した、ホワイトスネイクにレコーディング寸前に負傷で演奏が不能になってしまったエイドリアン・ヴァンデンバーグの代役として急遽加入し、アルバム『スリップ・オブ・ザ・タング』を製作[注釈 3]。但し、ヴァイの「派手過ぎる」激しいギターソロ等は賛否両論が巻き起こった。特に「フール・フォー・ラヴィング」の原曲との違いは、ファンの内で議論の的となる。
続くワールドツアーにも参加。
翌1990年に発表されたソロ・アルバム『パッション・アンド・ウォーフェア』はインストゥルメンタルアルバムでありながら全米18位[6]・全英8位[7]を記録する大ヒット作となった。
ソロ活動への回帰[ソースを編集]
ホワイトスネイクのワールドツアーを終えてソロ活動に復帰したヴァイは新人ボーカリスト、デヴィン・タウンゼンドを発掘し、バンド名義「ヴァイ(Vai)」としてアルバム『セックス・アンド・レリジョン』を発表。
また、1993年にリリースされたフランク・ザッパのトリビュート・アルバム『Zappa's Universe: A Celebration of 25 Years of Frank Zappa's Music』では「Sofa」と「Dirty Love」の2曲に参加し[8]、同アルバムからの「Sofa」によってグラミー賞最優秀ロック・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞を受賞した[9]。
1994年にはオジー・オズボーンとの競作、競演のセッションに参加。このときのセッションからオズボーンのアルバム『オズモシス』に「マイ・リトル・マン」が収録される(作曲したのはヴァイであるが、録音は差し替えられた)。
続いてソロ・アルバム『エイリアン・ラヴ・シークレッツ』、『ファイヤー・ガーデン』を発表。また、1997年、ヴァイがコンセプトを立案して、自身も「クリスマス・タイム・イズ・ヒア」のカヴァーを演奏したクリスマス・アルバム『メリー・アックスマス』が発表された。ヴァイは1998年に発表された続編『メリー・アックスマス2』でもエグゼクティヴ・プロデューサーとして関与したが、演奏には参加していない[10]。
1999年、ソロ・アルバム『ウルトラ・ゾーン』を発表。『ウルトラ・ゾーン』の「エイジアン・スカイ」ではB'zと共演している。なお、ヴァイは後に松本孝弘のソロ・アルバム『華』収録の「#1090 [千夢一夜]」と「Romeo & Juliet」ではミックスを担当した。
レーベル創設[ソースを編集]
2000年、自身レーベル「Favored Nations」を立ち上げる(2004年にはジャズ部門が新設される)。
2011年3月3日、母校であるバークリー音楽大学と提携し、NYのスタジオから30分間のギター・レッスンをライブ・ストリーミングした。レッスンには4,455人がアクセスしたとギネス・ワールド・レコーズから認定され「Largest Online Guitar Lesson(最大規模のオンライン・ギター・レッスン)」のギネス世界記録を樹立した[12]。
2012年、『リアル・イリュージョンズ』の続編に当たるアルバム『ザ・ストーリー・オブ・ライト』を発表し、ヴァイ自身は同作を、三部作のうちの2作目と位置付けている[13]。収録曲「ノー・モア・アムステルダム」には、シンガーソングライターのエイミー・マンが作詞とボーカルで参加した[14]。
2024年3月22日、ジョー・サトリアーニとのジョイントツアー『SATCH-VAI』をフロリダ州オーランドより開始。また3月29日にサトリアーニとのコラボ曲「The Sea Of Emotion, Pt.1」を発表。翌30日には、サトリアーニの息子・Z.Z.が監督を務めた同曲のミュージック・ビデオがYouTubeでプレミア公開された[15]。
同年4月、ロバート・フリップ公認による、1980年代(ディシプリン期)キング・クリムゾンの楽曲をカバーするトリビュートバンド「BEAT」を結成し、秋からツアーを開始する[16]。
「Stand Up / David Lee Roth」