John Mellencamp - Paper In Fire

John Mellencamp - Paper in Fire (Live at Farm Aid 1990)

 

これまでにジョン・メレンキャンプを更新した回は、下記です。

 

1981年頃から多くのヒットを重ね、

 

円熟味を帯びた時期のジョン・メレンキャンプ音譜音譜

 

この曲は、1987年 作品ですアップ


 

ジョン・メレンキャンプJohn Mellencamp、1951年10月7日 - )は、アメリカ合衆国インディアナ州シーモア出身のシンガーソングライターである。デビュー当時の芸名は、ジョン・クーガーJohn Cougar)。1983年に、ジョン・クーガー・メレンキャンプJohn Cougar Mellencamp)と改名し、1991年から本名のジョン・メレンキャンプを名乗る。

2018年11月、女優のメグ・ライアンとの婚約を発表[1]

 

1970年代半ばに、トラッシュというグラムロックのバンドで活動していた時期に、デヴィッド・ボウイの敏腕マネージャーであったトニー・デフリーズに見出され、デビュー。グラムロッカーとして化粧をし、芸名をジョニー・クーガー(Johnny Cougar)とするが、彼の意に沿うものではなく、まもなくレコード会社を移籍し、芸名もジョン・クーガーとする。アメリカでの初ヒットは79年末「I Need A Lover(邦題:アイ・ニード・ラヴァー)」で、ビルボードHOT100で最高位28位。その後も、「This Time(80年 全米27位)」、

「Ain't Even Done With The Night(夜が泣いている:81年 全米17位)」と着実にヒット曲を出す。

 

大ブレイクしたのが1982年。アルバム「American Fool(ビルボード誌アルバムチャート全米No.1)」からのシングル「Hurts So Good(青春の傷あと)」が最高位2位、続くセカンドシングル「Jack & Diane英語版)」が全米1位の大ヒットとなり、名実ともに人気ロッカーの仲間入りを果たす。

イギリスでも「Jack & Diane英語版)」がシングル初チャートイン(最高位25位)した。なお、上記の「I Need A Lover(邦題:アイ・ニード・ラヴァー)」の日本盤シングルでは、アーティスト表記はジョニー・クーガーとなっている(ワーナー・パイオニア:P-528)。

 

1983年にジョン・クーガー・メレンキャンプと改名し、「Uh-Huh」(邦題「天使か悪魔か」)を発表。「CRUMBLIN' DOWN」(9位)、「Pink Houses 」(8位)などビルボード誌でTOP10入りする。ローリング・ストーン誌はこのアルバムを「1980年代の偉大な100枚」の32位に選んだ。

 

1985年に発表した「Scarecrow」からも「Lonely Ol' Night」(6位)、「Small Town」(6位)、「R.O.C.K. in the U.S.A.」(2位)のシングルがトップ10入りした。

同年には、ウイリー・ネルソンと共に、困窮するアメリカの農家のためのチャリティーイベント「ファーム・エイド」を開催。

都市から見放されがちな田舎、農村の代弁者としての立場を強くするようになり、音楽性もカントリーフォークの色が濃いアコースティックなものに変容していった。その音楽性は、1987年に発表した「The Lonesome Jubilee」で強く見出すことが出来、このアルバムからも「Paper in Fire」(9位)と「Cherry Bomb」(8位)、「Check It Out」のヒット曲を生んだ。

その間の1986年には、日本武道館フェスティバルホールでの来日公演を行った。

 

1991年に、ようやく本名のジョン・メレンキャンプ名義で「Whenever We Wanted」を発表。翌1992年には、4年ぶりのワールド・ツアーも行った。映画業界にも同年から進出しており、インディアナ州が舞台の『Falling from Grace』で主演と監督を務めたものの、商業的には成功しなかった。1993年に「Human Wheels」、1994年に「Dance Naked」、1996年に「Mr. Happy Go Lucky」のアルバムを発表したが、以前ほどの成功は収められなかった。21世紀に入ると、新たな音楽性を求め、ラップグループのパブリック・エネミーチャックDなど組み、「Cuttin' Heads」を発表した。インディアナ州ブルーミントンに住まいを構えるジョンは、同地にあるインディアナ大学のバスケットボールチームのシーズンチケットを購入しており、その関係から同大学の前学長が代表を努めるNCAAのバスケットボール大会の一環として、2006年にインディアナポリスの街中で無料コンサートを行い、5万人の観衆を集めた。同年の夏頃から、シボレーのCM曲として「Our Country」が流れ始め、大変な人気を集めた関係もあり、2007年に発表した5年ぶりのアルバム「Freedom's Road」は、初動ランキングで5位にランクイン。これは1985年の「Scarecrow」がマークした2位に次ぐ、最高位になっている。また、同年には人気作家スティーヴン・キングと共に、ブロードウェイミュージカルの仕事を行っている。

 

2012年、スティーブン・キングと共同でホラー・ミュージカル『ゴースト・ブラザース・オブ・ダークランド・カントリー英語版)』を制作し、4月から5月にかけてアトランタで上演された。曲の録音にはエルヴィス・コステロクリス・クリストファーソンシェリル・クロウなどが参加している。2013年10月10日から11月6日にかけて、中西部と南部の20都市をツアーした[2]

 

「Paper In Fire / John Mellencamp」