Muddy Waters - I Can't Be Satisfied (1948)

 

Muddy Waters & Johnny Winter - I Can't Be Satisfied

 

これまでにマディ・ウォータースを更新した回は、下記です。

 

ローリング・ストーンズ等多くのアーティストに多大なる影響を与えた

偉大なるマディ・ウォータースビックリマーク

 

1948年という まさしく初期ギターの神髄・巨匠

 

2番目のYoutube、ジョニー・ウィンターとのLiveも最高アップ

 

マッキンリー・モーガンフィールド(McKinley Morganfield)、別名マディ・ウォーターズ(Muddy Waters、1913年4月4日 - 1983年4月30日)は、アメリカ合衆国ブルースシンガーギタリスト

シカゴにおいてエレクトリック・ギターを使ったバンド・スタイルのブルースを展開し、シカゴ・ブルースの形成に大きな足跡を残したことから、「シカゴ・ブルースの父」と称される。

生涯に6度グラミー賞を受賞し[2]、没後の1987年にはロックの殿堂入りを果たした[3]

 

その豊富で深遠な声、豪快なボトルネック・ギター、カリスマ的キャラクターで、ブルース界の第一人者となった。

ロック界においても、ローリング・ストーンズエリック・クラプトンロリー・ギャラガーポール・ロジャースジョン・メイオールフリートウッド・マックなど、彼から影響を受けたミュージシャンは枚挙にいとまがなく、その影響力は計り知れない。

エピソード[ソースを編集]

1964年、チェススタジオでレコーディングした時の話さ。
白いオーバーオールを着てハシゴに乗っかってるおっさんを紹介されたんだ。
誰だ?ってその顔を見たら、マディ・ウォーターズだったのさ!
なんと!あのマディ・ウォーターズが俺達のスタジオのペンキ塗りをしてたんだぜ!
どうやらチェスじゃレコードの売れない奴はどんな仕事でもしなきゃいけないみたいだった。
俺達が何曲もカバーして神様だと思ってる男が天井にペンキを塗ってるんだぜ!

 

ある日俺は新車の遠乗りがしたくなって、シカゴに親戚がいるという友達のラルフと2人でシカゴへとドライブしたんだ。
ラルフの親戚の家でご馳走になった後、俺達はシカゴのサウスサイドでブルースの生演奏が聴けるクラブをハシゴしてまわった。 そこでハウリン・ウルフエルモア・ジェームスのステージを観たんだ。
とても感動したし、興奮して聴き入ったよ!

そして、今度は憧れのマディ・ウォーターズが出演するクラブへ行ったんだ!
マディは最後のセットのラストナンバー「ガット・マイ・モジョ・ワーキング英語版)」を演奏中だった。 演奏が終わると群がるファンをかきわけ、マディのサインを貰うために突進してくれたラルフのおかげで、俺はマディと口をきくチャンスができた。
大統領か法王にお目通りするような気分だった俺は、曲の素晴らしさを褒めた後、単刀直入に「レコードを作るにはどうすればいいのか?」って聞いてみた。
大勢のファンが声をかけようとひしめく中で、マディは俺の質問に答えてくれたんだ。

レナード・チェス英語版)に会ってみろ!そう、47丁目とカテッジの角にあるチェスレコードさ!」

俺に音楽を愛する事を教えてくれた人。
俺の音楽に最も大きな影響を与えた人。

それがブルース界のゴッドファーザー、マディだ!

 

「I Can't Be Satisfied / Muddy Waters」