Hanoi Rocks - Malibu Beach (live Marquee Club 1983) HD

Malibu Beach Nightmare

 

渋谷O-Westでの来日公演に行きました音譜

 

何が最高って、62歳のマイケル・モンローが ステージ脇の柵をつたって

オーディエンスの近くまで来たことアップ

 

運動量、とても62歳とは思えないビックリマーク

 

さすが お酒、たばこ、クスリを一切やらない健康体もマイケル・モンロー!!

 

Wアクセル・ローズの見るに堪えないデブ体系で高音域が出ないのとは大違い爆弾

 

2時間以上にも及ぶステージで全く高音域が全盛期と変わらない素晴らしさビックリマーク

ボイス・トレーニング、日ごろのエクササイズの重要性を感じました音譜

 

待ってました!マイケル・モンロー!
ジャパン・ツアー開催!
約4年の時を経て再びマイケルのロックンロールがここ日本に鳴り響く!
 


<日程>
東京

2024年2月6日(火)Spotify O-EAST
OPEN 18:00 / START 19:00

東京
2024年2月7日(水)Spotify O-EAST
OPEN 18:00 / START 19:00


愛知
2024年2月8日(木)名古屋クラブクアトロ
OPEN 18:00 / START 19:00

大阪
2024年2月9日(金)梅田クラブクアトロ
OPEN 18:00 / START 19:00

<チケット>
¥8,000(税込 / All standing / 1Drink別)

企画・制作:クリエイティブマン

 

ハノイ・ロックス(Hanoi Rocks)は、フィンランド出身のロックバンド。

1980年代に流行した、バッドボーイズ系ロックンロールの草分け的なグループの一つ。1985年に解散して以降、同系のスタイルが全米を中心に発展していったため、その出現は早過ぎたとも言われた。その後2000年代に再結成し、2009年まで活動している。

概要
1980年、ヘルシンキでマイケル・モンローとアンディ・マッコイを中心に結成された。1981年のデビュー以来、メロディアスで小気味の良いロックナンバーを発表。

本格的な全米デビューを控えていた矢先の1984年、ドラマーのラズルがヴィンス・ニール(モトリー・クルー)の運転する車に乗車中、事故に遭い死亡。代役を入れるなどしたが上手くいかず、翌1985年に解散した。

往年のメンバーはそれぞれの道を歩んでいたが、2001年にマイケルとアンディによって復活。3作のアルバムをリリースし、ファンの期待も大きかったが2008年に再び解散を発表し、2009年4月12日フィンランドでのライブをもって活動を終了した。

略歴
結成期
1977年、アンディ・マッコイがスウェーデンのパンク・ロックバンド「Briard」でデビュー。

1979年、スウェーデンにてマイケル・モンローとアンディが出会い、ロックバンド「Nymphomaniac」を結成するも短期間で解散[1]。

1980年、フィンランド・ヘルシンキでマイケル、ナスティ・スーサイド、サミ・ヤッファで結成したバンドにアンディが加入する形で「ハノイ・ロックス」が誕生。

1981年4月、1stアルバム『Bangkok Shocks Saigon Shakes(邦題:白夜のバイオレンス)』をリリース。

1982年1月、2ndアルバム『Oriental Beat』をリリース。フィンランドで国内No1を獲得。8月にコンピレーション・アルバム「Self Destruction Blues」をリリース。またもフィンランド国内でNo1。この頃にバンドは本拠地をロンドンに移転、ドラマーがジップ・カジノからラズルへ交代する。

1983年5月、3rdアルバム『Back To Mystery City』をリリース。レディング・フェスティバルに出演。

1984年9月、メジャー・レーベルCBSと契約し4thアルバム『Two Steps From The Move』をリリース。

いよいよ全米進出という矢先の12月、ラズルがヴィンス・ニール(モトリー・クルー)の飲酒運転事故により死去。翌1985年に解散した。

活動停止期間
マイケルはソロ活動を開始、アンディはナスティと「スーサイド・ツインズ」を結成したがアルバム一枚で解散。その後ナスティは「チープ・アンド・ナスティ」を結成、アンディは「チェリー・ボムズ」を結成した。サミはアメリカのグラム・メタルバンド、「ジェット・ボーイ」に参加、とメンバーはそれぞれの道を歩んでいった。

解散後最も活動が成功していたマイケルは1992年にスティーヴ・スティーヴンスと「エルサレム・スリム」を結成し話題となったが、スティーヴンスが当時モトリー・クルーを脱退しソロ活動を始めていたヴィンス・ニールのバンドに合流するため即脱退、「エルサレム・スリム」はアルバムをリリースした時点ですでに解散という結果となった。その後マイケルは1994年にサミと「デモリション23」を結成するもののアルバム一枚を残して活動を停止。

再結成
2001年、マイケルとアンディを中心に再結成し、2002年に18年ぶりとなる5thアルバム『Twelve Shots On The Rocks』をリリース。ナスティとサミは参加せず、新規メンバーにコステロ・ホートマキ(ギター)、ティンパ(ベース)、ラク(ドラム)が加入。80年代に活動していたときはグラムロック色のあるパンク系だったが、再生後はマイケル・モンローのソロに通ずるハードロック系であった。

2003年、コステロ脱退。

2004年、スティーヴィー・クラッソン加入。

2005年、スティーヴィー、ティンパ脱退。コニー・ブルーム、アンディ "A.C." クリステル加入。6thアルバム『Another Hostile Takeover』をリリース。

2007年、7thアルバム『Street Poetry』をリリース。

2008年、ラク脱退。ジョージ・アトラジック加入。10月21日、二度目の解散を発表[2]。

2009年3月に日本でフェアウェルツアー、4月に地元フィンランドのTavastia Clubにて6日連続8公演を行い、最終日4月12日のライヴをもって、その活動に幕をおろした。

解散後
2010年1月、マイケルは旧メンバーであるサミ・ヤッファ(ベース)に加え、ジンジャー(ギター)、トッド・ユース(セカンドギター)、ジミー・クラーク(ドラムス)と共に、マイケル・モンロー・バンドを結成。

2023年6月、マイケルは、交通事故でラズルを失った原因の当事者ヴィンス・ニールと39年目にして初対面。これまで非難していたわだかまりを解消している[3]。

 

マイケル・モンローMichael Monroe, 本名: Matti Antero Kristian Fagerholm (マティ・アンテロ・クリスティアン・ファーゲルホルム), 1962年6月17日 - )はフィンランド出身のロックミュージシャンである。1980年に結成されたフィンランドのロックバンドハノイ・ロックス(HANOI ROCKS)のヴォーカリストとして知られる。一部の曲ではサックス、ハーモニカも担当。

 

ガンズ・アンド・ローゼズがファンで、アクセル・ローズスラッシュと共演したり、ガンズのアルバム『ユーズ・ユア・イリュージョンI』にも参加した。

 

2010年、芸名と同名のバンド、「マイケル・モンロー」を結成する[1]

 

人物[ソースを編集]

ストレート・エッジを貫いており、体調管理には最善の注意を払っている。

 

環境問題の観点から、自動車は所持せず、自転車を主な移動手段としている。戦争や貧困問題にも興味があり、インタビューの際には環境問題や戦争、貧困問題について語ることがある。

2001年に最初の妻と死別したが、2003年に再婚している。

マイケル・モンロー・バンド[ソースを編集]

メンバー[ソースを編集]

 

「Malibu Beach / Hanoi Rocks」