Thru the Window

REO SPEEDWAGON - THROUGH THE WINDOW

 

これまでにREOスピードワゴンを更新した回は、下記です。

 

Liveでこそ魅力溢れるREOスピードワゴンだが、

 

もはや好きなメンバーは残っていない。

 

ギターのゲイリー・リッチラスが好きだったが、2015年に亡くなっており、

Drumsのアラン・グラッツァーも1988年に脱退している。

 

REOスピードワゴン(アール・イー・オー・スピードワゴン、英語REO Speedwagon)は、アメリカ合衆国出身のロックバンド。デビュー以来、商業的成功とは無縁のライブ・バンドに甘んじていたが、1980年代にアルバム『禁じられた夜』が1千万枚を超えるセールスを記録して開花。同国を代表するアメリカン・ロック・グループとして認知された。キャリアは50年以上に及ぶ。

概要[ソースを編集]

[6]1967年イリノイ州で結成し、1971年にデビュー。代表曲には「Keep On Loving You」[7]「Can't Fight This Feeling:涙のフィーリング」「In Your Letter:涙のレター」などがある。

デビュー当初から年間300本に及ぶツアーでアメリカ国内のクラブ、ライブハウスや高校・大学を回る地道なライヴ活動を展開し、ブレイク前は「アメリカで最も売れていないが、長続きしているバンド」と評されるほどだったが、1980年代になって初ヒットを飛ばした。

 

1991年10月に活動休止したが1992年後半から再開し、現在も活動を続けている。

バンド名の由来[ソースを編集]

アメリカの自動車メーカー「レオ・モーター・カー・カンパニー」で1930年代に生産されたモデル「スピードワゴン (Speed-Wagon)」と、同社の創業者ランサム・E・オールズ(Ransom E. Olds)の頭文字に因む。

 

1981年
  • アルバム『禁じられた夜』が、それまでビルボードのアルバムチャートで8週連続全米1位を獲得していたジョン・レノンの遺作、『ダブル・ファンタジー』にかわって1位になった。その後、15週連続全米1位を獲得し、売り上げも最終的には1000万枚を突破した。そして、この年の年間アルバムチャートでは『ダブル・ファンタジー』を抑えて年間第1位を獲得した。
  • アルバムからの先行シングルとなった「キープ・オン・ラヴィング・ユー」は同年3月21日付のビルボード・シングルチャートで全米1位を獲得した。そして、この年の年間シングルチャート第10位にもなった。売れない地味なハードロック・バンドのままなら、批判されることもなかったのだが、大ヒットを飛ばすに至り「産業ロック」との批判を受けることになってしまった。
1984年
  • 11月、アルバム『ホイールズ・アー・ターニン』で活動再開、全米第7位。
1985年
  • 先に挙げたアルバムからシングルカットされた「涙のフィーリング」が同年3月9日付から3月23日付までのビルボード・シングルチャートで3週連続第1位を獲得。このミュージック・ビデオは「一人の男が生まれ、成長、そして結婚し子供が生まれ、さらにその子供が独立。そして夫婦は年老いていき、夫は最愛の妻に先立たれる」というストーリーになっている。このビデオでケヴィンは特殊メイクを用い、最後の老人役で出演している。
  • 同年7月13日に行なわれたライヴエイドフィラデルフィアJFKスタジアム)に出演。「涙のフィーリング」「ロール・ウィズ・ザ・チェンジス」を披露。「ロール・ウィズ・ザ・チェンジス」では同じく出演していたビーチ・ボーイズや他の出演者がコーラスを担当している。
  • アルバム『ザ・ベスト・オブ・REOスピードワゴン』リリース。
1987年
  • 2月、黄金期のメンバーでレコーディングされた最後のオリジナル・アルバム『人生はロックンロール』をリリース、全米第28位。
1988年
  • 6月、ベスト・アルバム『ザ・ヒッツ』(通算16枚目)をリリース、全米第56位。その中の新曲「アイ・ドント・ウォント・トゥ・ルーズ・ユー(涙のルーズ・ユー)」と「ヒア・ウィズ・ミー」(全米第20位)がゲイリーとアランがバンドメンバーとしての最後のレコーディングとなる。
  • このリリース直後、ドラムのアランが脱退。サンタナのグラハム・リアー加入。

「Thru The Window / REO Speedwagon」