The Michael Schenker Group - Armed and Ready (公式ビデオ)

 

Michael Schenker Group - Armed and Ready - Pinkpop 1981

 

これまでにマイケル・シェンカー・グループを更新した回は、下記です。

 
2番目のYoutube、Liveのほうが257万回と視聴回数は多く、見どころいっぱいです音譜
 
さすがマイケル・シェンカーが「神」と言われる所以、
 
1音1音のピッキングがとても丁寧でクリアアップ

 

マイケル・シェンカーミヒャエル・シェンカー[注 1]Michael Schenker1955年1月10日 - )は、ドイツ出身のハードロックギタリスト。かつて、白と黒の2色で塗り分けられたギブソンのギター「フライングV」を使用していたことで有名[注 2]

日本ではアルバムの邦題から「神」とも称される。※邦題「神(帰ってきたフライング・アロウ)」(1980)

 

実兄はスコーピオンズのリーダーであるルドルフ・シェンカー、実妹はヴィーヴァのキーボーティストであるバーバラ・シェンカー

 

兄であるルドルフ・シェンカーの影響で幼少期よりギターを始める。

アマチュアバンド「コペルニクス」を結成し11歳で初ステージを踏み、17歳で「スコーピオンズ」のデビューアルバム『恐怖の蠍団』にリード・ギターとして参加した[注 3]

 

1973年6月、リードギターを探していた「UFO」からオファーを受け加入。これは、前年に「スコーピオンズ」が「UFO」のドイツ・ツアーの前座を務めた際、オリジナル・ギタリストのミック・ボルトン、2人目のギタリスト、ラリー・ウォリスの次に当時ギタリストとして在籍していたバーニー・マースデン[注 4]が突如失踪し、急遽マイケルを借りたという出来事がきっかけであった。

 

UFOには1978年まで在籍し6枚のアルバムに参加。UFOの世界的な成功に貢献する一方、メンバーとのコミュニケーションやアルコールの問題を抱えていた。

 

UFO脱退後、短期間ながら古巣のスコーピオンズに所属した後、

1979年に自らのバンド「マイケル・シェンカー・グループ (通称:MSG)」を結成。デビューから1984年までに4枚のスタジオ・アルバムと2枚のライヴ・アルバムを発表。ロック・ギターの名手として一時代を築き、日本武道館でのコンサートも行われた。

 

ボーカルのロビン・マッコーリー加入にともない、1986年から1993年にかけては「マッコーリー・シェンカー・グループ」名義で活動。3枚のスタジオ・アルバムをリリースした。合間の1991年にはラットのサポートメンバーを務めた。

 

1993年、「UFO」の再結成に参加。新アルバムのレコーディングやライブ活動で1995年まで在籍した。1997年に再加入しツアーを行うも、1998年の日本公演の途中で演奏を放棄し無断帰国。そのままバンドはツアーを中止し解散。しかし2年後の2000年に復帰。3年後の2003年に4度目の脱退。

 

1996年、「マイケル・シェンカー・グループ」を再始動させる。近年は並行して自身のソロ・プロジェクトも行っている。

 

2006年には、ヴァッケンの野外コンサートで、息子で「Faster Inferno」のギタリストのタイソン・シェンカーと競演した。日本公演を行うも再びライブ途中で演奏を放棄し中止になる。

 

2011年、ソロアルバム「テンプル・オブ・ロック」を発表[1]。これ以降はこのアルバムから発展した「マイケル・シェンカーズ・テンプル・オブ・ロック」として活動を始め、精力的にワールドツアーを行う[2]

 

 

2016年、MSGの歴代メンバーが集うプロジェクト「マイケル・シェンカー・フェスト」の活動を開始。同年8月に来日公演を行った[3]

 
「Armed And Ready / Michael Schenker Group」