Queen - Bicycle Race (Official Video)
Queen- Bicycle Race- Live 4/24/79
これまでにクイーンを更新した回は、下記です。
私が初めてクイーンを知った曲で、
リリースは1978年11月作品ですが、初めて聴いたのは1982年7月です
初めて聴いた印象は、コーラスが素敵だなと
41年経過した感想も今と変わらず、
やはり どの曲もコーラスが美しい曲は いいなと
2番目のYoutubeのLiveも、とても見応えがあります
78年11月10日にEMI(イギリス)とエレクトラ・レコード(アメリカ)から発売され、同年11月25日に日本でもワーナー・パイオニア/エレクトラより発売された。
1975年発売の『オペラ座の夜』以来、ロイ・トーマス・ベイカーをプロデューサーに迎えた作品。ディスクジャケットにはロジャー・テイラーの提案で、ベルリンの壁に描かれていたものと同じデザインが採用された。
全英アルバムチャートで最高位2位[8]、Billboard 200で最高位6位を獲得[9]するなどのヒットを記録した。
背景[ソースを編集]
前作『世界に捧ぐ』を引っ提げたライブツアー「News of the World Tour」終了後に夏季休暇を挟み、1978年7月にフランスにあるスーパー・ベア・スタジオで本作のレコーディング・セッションを開始し、のちにスイスのマウンテン・スタジオに場所を移して作業が行われた[10]。プロデューサーには『オペラ座の夜』以来となるロイ・トーマス・ベイカーが参加したが、ベイカーが参加した最後のクイーンのアルバムとなった[10]。
アルバムタイトルは、「前作のアンセム群を越えることが非常に困難である」という自覚と、「一つの方向性に偏らず、より多彩なアプローチに復帰することが前へと進む道筋になる」ということから「ジャズ」と命名された。なお、アルバムタイトルには「パンクやニュー・ウェイヴをはじめとしたあらゆるものへのアンチテーゼ」というニュアンスも含んでいる[10]。
1978年10月13日に本作からの先行シングルとして両A面シングル『バイシクル・レース / ファット・ボトムド・ガールズ』、1979年1月26日に本作からのリカット・シングル『ドント・ストップ・ミー・ナウ』[注釈 1]が発売された。
なお、ボリビア、西ドイツ、スペイン、ユーゴスラビアでは「ムスターファ」、アメリカ、カナダ、ブラジル、ニュージーランド、ソ連では「ジェラシー」もシングル・カットされている。
1978年10月28日から1979年8月18日にかけて、本作を引っ提げたライブツアーを敢行した。
収録曲[ソースを編集]
特記がない限り、リード・ボーカルはフレディ・マーキュリー。
# | タイトル | 作詞・作曲 | リード・ボーカル | 時間 |
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1. | 「ムスターファ」(Mustapha) | フレディ・マーキュリー | ||
2. | 「ファット・ボトムド・ガールズ」(Fat Bottomed Girls) | ブライアン・メイ |
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3. | 「ジェラシー」(Jealousy) | フレディ・マーキュリー | ||
4. | 「バイシクル・レース」(Bicycle Race) | フレディ・マーキュリー | ||
5. | 「うちひしがれて」(If You Can't Beat Them) | ジョン・ディーコン | ||
6. | 「レット・ミー・エンターテイン・ユー」(Let Me Entertain You) | フレディ・マーキュリー |
# | タイトル | 作詞・作曲 | リード・ボーカル | 時間 |
---|---|---|---|---|
7. | 「デッド・オン・タイム」(Dead on Time) | ブライアン・メイ | ||
8. | 「セヴン・デイズ」(In Only Seven Days) | ジョン・ディーコン | ||
9. | 「ドリーマーズ・ボール」(Dreamer's Ball) | ブライアン・メイ | ||
10. | 「ファン・イット」(Fun It) | ロジャー・テイラー |
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11. | 「去りがたき家」(Leaving Home Ain't Easy) | ブライアン・メイ | ブライアン・メイ | |
12. | 「ドント・ストップ・ミー・ナウ」(Don't Stop Me Now) | フレディ・マーキュリー | ||
13. | 「モア・オブ・ザット・ジャズ」(More of That Jazz) | ロジャー・テイラー | ロジャー・テイラー | |
合計時間: |
「Bicycle Race / Queen」