Peter Frampton - I'm In You - 7/2/1977 - Oakland Coliseum Stadium (Official)
I'm in you -Peter Frampton 1977
これまでにピーター・フランプトンを更新した回は、下記です。
1番目のYoutube、2分58秒にファンから帽子が投げ込まれ、
見事にキャッチして被るシーンがある
風に吹かれて帽子は取りづらいはずだ。
見事過ぎる
その帽子を被って、ずっと歌い続ける
今年のラスト曲はピーター・フランプトンの見事なシーンで締めます
皆様、1年間ありがとうございます
まだまだ続きます
2053年ぐらいまでやろうかと
ピーター・フランプトン(Peter Frampton、1950年4月22日 - )は、イングランド出身のロックミュージシャン、シンガーソングライター、ギタリスト。
同国のロックバンド「ザ・ハード」「ハンブル・パイ」を経て、ソロに転向し大きな成功を収める。50年以上のキャリアを誇り、ギターボーカル先駆者の一人として認知されている[2]。
略歴[ソースを編集]
ロンドン出身。父オーウェン(1919〜2005)はブロムリー・テクニカル・ハイ・スクールの美術教師で、フランプトンも同校に進学し、オーウェンの生徒であった先輩デヴィッド・ボウイと親しくなってジャム・セッションに興じていた[3]。
1966年、アイドル・バンドのザ・ハード(名前の由来は、群集や聴衆)に参加。身長170cmと小柄ではあるものの、繊細な顔立ちの美少年であるが故にティーンエイジャーの人気者となり、1968年には「1968年の顔」ともてはやされるようになる(スコット・ウォーカーがレコーディング・スタジオに訪れたり、彼とは風貌が似ていたこともあって、ヤング・スコットと呼ばれたこともあった)。
しかし、アイドル扱いに嫌気がさしたフランプトンは、スモール・フェイセスのスティーヴ・マリオット達と密かにミーティングを重ね、1969年2月にシングル「サンシャイン・コテージ」が発売されるや否やザ・ハードを脱退、時を同じくしてグループを脱退したマリオット達と「ハンブル・パイ」を結成する運びとなる。
二枚看板なはずのハンブル・パイだったが、アルバム毎にブルージーでソウルフルなマリオット色が濃くなり、アコースティックなサウンドに惹かれ始めていたフランプトンは、徐々に居場所を失っていく。1972年に、ハンブル・パイを円満に脱退し、フランプトンズ・キャメルを結成する。
その傍ら、ギタリストとしてジョージ・ハリスンやニルソンのアルバムに参加して腕を磨く。
1974年から精力的に草の根全米ツアーを始め、地道にファンを増やしていく。
1976年、この努力が実を結び、先の全米ツアーを収録した2枚組のライブ・アルバム『フランプトン・カムズ・アライヴ! (Frampton Comes Alive!)』がアメリカのBillboard 200で1位[4]、全世界で1,000万枚を売り上げる驚異的な大ヒット作となる。「Show me the way」「君を求めて(Baby, I Love Your Way)」「Do You Feel Like We Do」の3作のシングルの大ヒットもあり、年間通してこのアルバムは莫大なセールスを記録した。この結果、ロック界ではライブ・アルバムがブームとなり、他のミュージシャン達もこぞってリリースした。
また、この作品の成功を機に、アメリカではアルバムのビッグセールス時代が始まったといわれる。
1977年にも「アイム・イン・ユー」などのヒットを放ち、ビージーズのギブ兄弟らと映画『サージェント・ペパーズ』(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)にも出演した。
1978年10月に来日。
2016年、活動50周年を迎え、アルバム『Acoustic Classics』を発表。
2019年2月23日、米CBS放送のモーニング・ショー『This Morning』に出演し、自身が筋肉に慢性的な炎症/変性が生じ、筋力が徐々に低下する難病の封入体筋炎の診断を受けていること、病気の進行に伴って今後ギタープレイへの影響が懸念されるため、同年夏のツアーが最後となる旨を発表した[7]。同年6月7日、ブルースの楽曲を取り上げたカバー・アルバム『All Blues』を発表[8]。
2019年12月、北米に続いて2020年5月からヨーロッパでもフェアウェルツアーを行うことを発表していたが、2020年4月、新型コロナウイルスの影響で全公演の中止が発表された。
「I'm In You / Peter Frampton」