Ten Years After - Good Morning Little School Girl - 8/4/1975 - Winterland (Official)
Ten Years After - Good Morning Little Schoolgirl
なかなかエキセントリックなギターだ
ハードロックの総帥に相応しい、テン・イヤーズ・アフター
このギターこそが、現在までのハードロックへと繋がっている。
まさしく、始祖だ
テン・イヤーズ・アフター(Ten Years After)は、イングランド出身のブルースロック・バンド。
1960年代に隆盛したハードブルースの代表的グループ。
後のハードロックを形成する過渡期において、重要な役割を果たした。
一度解散したが、1980年代以降から再始動している。
概要[ソースを編集]
ブルースをベースにジャズやリズム・アンド・ブルースなど、多様なセンスを持ったハードロックの原型とも言える楽曲をプレイしていた。ギタリストのアルヴィン・リーが弾くマシンガン・ピッキングは当時のギターの中でも異彩を放っている。
バンド名の由来は「バンドが10年後も存続しているように」という願いから。しかし、1974年に解散したため叶わなかったが、その後に再結成している。
[2]1961年頃、ノッティンガムにてイヴァン・ジェイを中心として発足。翌1962年に「The Jaybirds」を結成。1965年に首都ロンドンへ進出し、メンバーの変遷を経た翌1966年から現行名「テン・イヤーズ・アフター」で活動を開始。
1967年、セルフタイトルのファースト・アルバムから早くも賞賛を受け、1968年には初の全米ツアーも行っている[3]。
更に1969年の「ウッドストック・フェスティバル」における代表曲「I'm Going Home」の演奏がきっかけで、人気を確固たるものとした。
1972年5月に「プロコル・ハルム」とのジョイント・コンサートで初来日を果たす。また、1973年6月、アルバート・ハモンドを伴って再来日を果たした際、レオ・ライオンズのあまりにも激しいプレイのため、ベース・ギターの弦が切れたのは有名である。
1974年にバンドは解散。解散後、リーはソロとして活躍した。また、ライオンズはマイケル・シェンカー時代の「UFO」の音楽プロデューサーとして名を馳せた。散発的に再結成も行っている。
1975年8月4日、アメリカはサンフランシスコのウィンターランドのコンサートにてアメリカでのフェアウェル・コンサートのため、一時的に再結成。また、1983年7月1日のロンドン「マーキークラブ25周年記念コンサート」においても、一夜限りの再結成として出演した。
2003年、アルヴィン・リーに代わり、ジョー・グーチが加入。
自主レーベル「Ten Years After Records」を設立し、2004年に第一弾アルバム『Now』を発表。
2013年3月6日、アルヴィン・リーがスペインにて外科手術の際の予期せぬ合併症のため死去[4]。同年12月30日、レオ・ライオンズ、ジョー・グーチが脱退し、「Hundred Seventy Split」の活動に専念する[5]。
2014年、マーカス・ボンファンティ(ギター/ボーカル)、コリン・ホッジキンソン(ベース)が加入。
2017年、9年ぶり13枚目のアルバム『A Sting in the Tale』を発表[6]。
「Good Morning Little School Girl / Ten Years After」