Fire Lake - Bob Seger & The Silver Bullet Band

“Fire Lake” (extended remix) - Bob Seger & the Silver Bullet Band

 

これまでにボブ・シーガーを更新した回は、下記です。

 

骨太のVocal、ボブ・シーガーの歌声 凄く好きです音譜

 

2番目のYoutube、Extended Mixを初めて聴いたのですが、素晴らしいビックリマーク

 

コーラスが綺麗ですね!!

 

ボブ・シーガー(Bob Seger、1945年5月6日 - )は、アメリカ合衆国出身のロックミュージシャン、シンガーソングライター。本名は、ロバート・クラーク・シーガー(Robert Clark Seger)。全世界の総レコード・カセット・CD等の売り上げは7,500万枚以上とされている[1]

 

シーガーの初期の音楽的影響は「リトル・リチャードが最初に夢中になったアーティストだった。そしてもちろんエルヴィス・プレスリー」と語る。

最初に買ったレコードは、デル・バイキングスの1957年のヒット曲「カム・ゴー・ウィズ・ミー[3]

 

シーガーはダグ・ブラウンという男に出会い、ダグ・ブラウン&ジ・オーメンズ(Doug Brown & The Omens)に加入する。このバンドではブラウンがメインボーカル、シーガーはR&Bのカバー数曲でリードボーカルを担当していた[2]。1965年のシングル「TGIF (Thank Goodness It’s Friday)」がシーガーにとって初めて公式に発表されたレコードだった。

翌年、バリー・サドラーの大ヒット曲「Ballad of the Green Berets(悲しき戦場)」のパロディで「Ballad of the Yellow Beret」という徴兵忌避者を揶揄する替え歌をビーチ・バムズ(The Beach Bums)名義でシングルを発表したところ、サドラーと彼のレコード会社から訴訟を起こされ、レコードは回収を余儀なくされる[6]

 

シーガーは「East Side Story」を自分のバンドで録音しようと決め、オーメンズを脱退する。この曲は、1966年1月にボブ・シーガー&ザ・ラスト・ハードという名でハイドアウトレコードからシングルが発表され、デトロイトを中心に5万枚を売り上げるヒットになった。その後、ラスト・ハードはカメオ=パークウェイレコードと契約し、4枚のシングルを発表する。そのうち、

1967年発表の「Heavy Music」は「East Side Story」を超える売り上げを記録し、全米でブレイクする可能性を秘めていたものの、その直前にカメオ=パークウェイレコードが倒産してしまう。「Heavy Music」は全米で最高103位、カナダで82位を記録し、後年のシーガーのライヴレパートリーに加えられることになる。

 

ボブ・シーガー・システムの2枚目のシングル「ランブリン・ギャンブリン・マン(Ramblin' Gamblin' Man)」は、まずミシガン州で火がつき、その後全米シングルチャートで最高17位にランクインされ、シーガー初の全国ヒットとなった。

この成功を受けて、1969年にアルバム『Ramblin' Gamblin' Man』を発表し、ビルボードのアルバムチャート62位を記録する。なお、「ランブリン・ギャンブリン・マン」でギターとバックボーカルを担当したグレン・フライ(この2年後にイーグルスを結成)にとって、これが初めてのスタジオセッション作だった[8]

 

1975年、シーガーはキャピトルレコードに戻り、アルバム『美しき旅立ち(Beautiful Loser)』を発表。本作において「カトマンズ(Katmandu)」が全米シングルチャート最高43位まで上り、「ランブリン・ギャンブリン・マン」以来のヒットになる。

 

1976年に発表されたアルバム『炎の叫び(Night Moves)』から、シーガーの本格的な快進撃が始まる。

タイトル曲「ナイト・ムーヴス(Night Moves)」は全米シングルチャートの最高4位を記録し、AORラジオ局でもエアプレイされるようになる。アルバムには、マッスル・ショールズのピート・カーによるギターが印象的な「メインストリート(Mainstreet)」(全米24位)、「ロックン・ロール(Rock and Roll Never Forgets)」(全米41位)が収録されている。『炎の叫び』は、全米アルバムチャートでシーガー初のトップ10アルバム(最高8位)となり、2006年の時点で米国で600万枚の売り上げを記録し、オリジナルアルバムとしてはキャリア最大の売り上げとなる。

このアルバムの成功により、前々作『美しき旅立ち』が全米で200万枚、前作『ライヴ』も500万枚以上の売り上げを記録する。

 

1977年2月にドラマーのチャーリー・アレン・マーティンが交通事故に遭い、後任に1972年の『Smokin' O.P.'s』に参加していたデヴィッド・ティーガーデンが加入する。1978年に発表されたアルバム『見知らぬ街(Stranger in Town)』は全米での売り上げが500万枚を突破し、全米アルバムチャートの4位まで上がり、1979年のビルボードの年間アルバムチャートの14位にランクされた。このアルバムからは、「裏切りのゲーム(Still the Same)」(全米4位)、「夜のハリウッド(Hollywood Nights)」(全米12位)、「愛・ひととき(We've Got Tonight)」(全米13位)、「オールド・タイム・ロック & ロール(Old Time Rock & Roll)」(全米28位)といったヒット曲が生まれている。なお、「愛・ひととき」は、1983年にケニー・ロジャースシーナ・イーストンにカバーされて全米6位のヒットになり、「オールド・タイム・ロック & ロール」は、1983年にトム・クルーズ主演の映画『卒業白書(Risky Business)』に使用され、同年の全米シングルチャートにおいて48位まで上がっている。

 

1980年に発表されたアルバム『奔馬の如く(Against the Wind)』は、全米アルバムチャートにおいて15週連続トップの座を守っていたピンク・フロイドの『ザ・ウォール』に代わって、初のナンバーワンに輝く

ファーストシングルの「ファイアー・レイク(Fire Lake)」(全米6位)には、バックボーカルにイーグルスのドン・ヘンリーティモシー・B・シュミット、グレン・フライが参加している。

その他に、タイトル曲の「アゲンスト・ザ・ウインド(Against the Wind)」(全米5位)、「わかりあえる時(You'll Accomp'ny Me)」(全米14位)、「地平線のバップ(The Horizontal Bop)」(全米42位)のヒット曲が生まれている。

の全米チャート6週連続1位を記録したこのアルバムは1980年グラミー賞を2冠獲得[12]、全米での売り上げは前作同様500万枚を突破している。

 

 

 

「Fire Lake / Bob Seger & the Silver Bullet band」