Skid Row - I Remember You (Official Music Video)

Skid Row - I Remember You (Live at Wembley Stadium 1991)

 

これまでにスキッド・ロウを更新した回は、下記です。

 

セバスチャン・バックのヴォーカリストとしての力量は際立っている。

 

特にこの曲のラスト、絶叫では心動かすヴォーカリストとしての力量を如何なく発揮している。

 

今現在、スキッド・ロウにはセバスチャン・バックは在籍していない。

セバスチャン・バックなくして、スキッド・ロウを観ようとは思わない。

 

それは、HAGANEからUyuが脱退し、HAGANEを見る気全くなくなったのと同じ。

 

他のメンバー無視して、金爆の事務所に所属とか、そんなもん容認できるわけねーだろ、

ふざけんなよパンチ!

 

3人の脱退決定直後に、Youtube Live配信、旧メンバー在籍の映像を全て消去したのも、ダメだ。

過去は消せねーんだよビックリマーク

そんなことやったら、余計逆鱗に触れる!!

 

過去に言ってきたことは、嘘なのか?

隠蔽工作なのか?

そんなもん、容認できねーよ!!

 

誰に何と言われようが、事実だしこの文面は、絶対に消さねーからなメラメラ

 

たっぷりとYeti VallharaのDrums、高橋カナコを全力で応援するし、

Mana DiagramのVocal Uyuと、guitarのMayto.を全力で応援する!!

 

スキッド・ロウSKID ROW)は、アメリカ合衆国出身のヘヴィメタルバンド[5]。同郷のミュージシャンであるジョン・ボン・ジョヴィらの支援を受け、1980年代LAメタル・ムーブメント末期にメジャーデビュー。数百万枚以上のセールスを記録して全米チャート1位を獲得するなど、早々に開花して人気を博した。

 

1986年に、ニュージャージー州トムズリヴァーで、ジョン・ボン・ジョヴィの幼馴染で、ボン・ジョヴィの前身となるバンド、ワイルド・ワンズのメンバーだったギタリストデイブ・スネイク・セイボと、ベーシストのレイチェル・ボランを中心に結成された。後にギタリストのスコッティ・ヒルと、ドラマーロブ・アフューソが加わり、

ボーカリストは元アンスラックスのマット・ファロンからセバスチャン・バックに代わって、1987年に初期のラインナップが揃う。

 

バンドはアメリカ東部やクラブでのショー等を通して活動し、ジョン・ボン・ジョヴィが運営するレーベル「New Jersey Underground」の協力を得て、メジャーレーベル「アトランティック・レコード」と契約。

有名プロデューサーであったマイケル・ワグナー(オジー・オズボーンホワイト・ライオンエクストリームのサポートでも知られる)のサポートを受け、1989年セルフタイトルのアルバム『スキッド・ロウ』でメジャーデビューした。

 

シングルカットした「"18 And Life"」「"Youth Gone Wild"」「"I Remember You"」がヒット。アルバムも500万枚以上を売り上げ、全米チャート6位を記録した。

彼らは支援してくれたジョン・ボン・ジョヴィやリッチー・サンボラ、アンダーグラウンド・ミュージック社に、売上の一部をお返しとして提供したりしている(後にリッチー・サンボラはスキッド・ロウに彼の受けた資金を返している)。同年に初来日公演を行い、翌年に大晦日のイベント『FINAL COUNTDOWN』に出演した。

 

1991年、同じくワグナープロデュースの2ndアルバム『スレイヴ・トゥ・ザ・グラインド』をリリース。本作で全米チャート1位を獲得し、2度目の来日公演を行った。

 

1995年、プロデューサーにボブ・ロックを迎え、当時のアメリカの流行(所謂モダン・ヘヴィネス)に乗り新機軸を取り入れた3rdアルバム『サブヒューマン・レース』をリリースしたが、前々作、前作ほどのヒットにはならなかった。3度目の来日公演を行った。

 

1998年にセバスチャンと他のメンバーが、キッスのサポートに関して対立し(セバスチャンと他4名との音楽性の意見の相違もあり、不満が燻っていた模様。)脱退、そしてバンドも事実上解散。

2000年には、新たなシンガー ジョニー・ソーリンガーを迎え再始動した。ドラマーは何度か交代し2010年にロブ・ハマースミスが加入。

 

2016年、バンドがセバスチャンと和解、再加入について話し合ったものの、決裂した。

 

「I Remember You / Skid Row」