Cinderella - Shake Me

Cinderella Shake Me Moscow Music Peace Festival HD

 

これまでにシンデレラを更新した回は、下記です。

 

やはりシンデレラは1st ALBUMが勢いがあっていいアップ

 

トム・キーファーのシャウトも若い音譜音譜

 

「Look out!!!」と叫ぶところがいい!!

 

シンデレラ(Cinderella)は、アメリカ合衆国出身のロックバンド。同東海岸のハードロックグラムメタル(ヘアメタル)の分野で活躍したグループの一つ。デビュー・アルバム『ナイト・ソングス』は、全米だけで300万枚以上のセールスを記録した[1]

バイオグラフィー[編集]

創設期(1983年 - 1995年)[編集]

1983年、リーダーのトム・キーファーボーカルギター:1961年1月ペンシルベニア州生まれ)と、エリック・ブリッティンガムベース:1960年5月メリーランド州生まれ)の2人を中心にフィラデルフィアで結成された[2][3]。さらにマイケル・スメリック(ギター)とトニー・デストラ(ドラム)が加入した。

 

1985年、ペンシルベニアのEmpire Rock Clubでジョン・ボン・ジョヴィに見出される。その後スメリックとデストラはBritny Foxに加入するためバンドを離れ、ギタリストに日系アメリカ人のジェフ・ラバーを、ドラムにジム・ドルネクを迎えた。このメンバーで、典型的LAメタルサウンドとブルース要素を折衷した1stアルバム『ナイト・ソングス』をレコーディングした(ただしドラムはセッション・ドラマーのジョディ・コルテスによって行われた)。この時点のキーファーは後年とのスタイルとはほぼ別人のようなハイトーン・ヴォイスを多用しており、楽曲もAC/DCのようなストレートなロックンロール的なものが多かった。レコーディング終了後間もなくドラマーのドルネクが脱退し、Londonのドラマーであるフレッド・コウリーが加入した。

やがてアルバムは1986年8月にリリースされ、全米3位、トリプルプラチナムを獲得した。

このアルバムのツアーでは、ボン・ジョヴィSlippery When Wetツアー、及び、ラウドネスLIGHTNING STRIKESツアーの前座としてプレイした。

 

前作よりもブルージーさの強まった2ndアルバムの『ロング・コールド・ウィンター』が1988年にリリース[4]され、14ヶ月に渡る254箇所でのツアーを行った。またこの期間中、ソ連時代のモスクワでMoscow Music Peace Festivalにも出演し、オジー・オズボーンスコーピオンズボン・ジョヴィらと共演した事で話題になった。

 

1990年に3rdアルバム『ハートブレイク・ステーション』がリリースされ、キーファーの趣味が強く反映されたよりブルージーなサウンドに仕上がった。このアルバムのツアーを最後にコウリーは脱退し、元ラットのヴォーカリストだったスティーヴン・パーシーのバンドArcadeに加入した[5]。また、キーファーはこの頃から喉に不調を訴え始め、手術を何度か経験している。1994年、前作よりもさらにブルージーさを追求した4th『スティル・クライミング』を発表するも翌年活動停止。

再始動期(1996年 - 2014年)[編集]

1996年に再始動し、翌年から全米をツアーを開始。また、1997年発売のベスト盤『ウォー・ストーリーズ〜ベスト・オブ・シンデレラ』には未発表曲「ウォー・ストーリーズ」が収録され[6]1999年にはライブアルバム『Live at the Key Club』の2枚のアルバムをリリースしたが、次作の曲を書いている間にレコード会社(Sony)との契約を切られてしまった。その後彼らは2000年および2002年に再びツアーを行っている。

 

エリック・ブリッティンガムとジェフ・ラバーは、ブリッティンガムの妻のバンドであるNaked Beggarsで活動を行った。コウリーも数多くのバンドに参加しており、キーファーはソロ活動を行った。2005年Mercury Recordsはコンピレーション・アルバム『Rocked, Wired & Bluesed: The Greatest Hits』をリリースした。

 

2006年夏まで、ポイズンとともに彼らの1stアルバムリリース20周年を記念したツアーを開催(「Night Songs」と「Look What The Cat Dragged In」はともに1986年の発表)。このツアーは2006年の全米音楽興行の中でも比較的成功をおさめ、一夜あたり約2万人のオーディエンスが集結した。

 

メンバー間に相違があり、2014年頃から活動停止状態になる。後年トム・キーファーは『再始動の計画は無い』と否定している。

その後の動向(2015年 - )[編集]

2021年7月14日、中心メンバーの一人だったギタリストのジェフ・ラバー[7]、およびキーボード担当だったゲイリー・コルベットが同日に死去[8]

 

「Shake Me / Cinderella」