The B-52's - Rock Lobster (Official Music Video)

The B-52's - Rock Lobster (Countdown 1980)

 

これまでにB-52'sを更新した回は、下記です。

 

ジョン・レノンがずっと愛してやまなかったB-52's音譜

 

何が飛び出すか分からない、奇妙な曲が魅力爆弾

 

この曲は彼等の代表曲ですねー

 

The B-52's[注釈 1](ビー・フィフティートゥーズ)は、1976年ジョージア州アセンズで結成されたアメリカ合衆国ニュー・ウェイヴバンド

 

バンド名はケイトとシンディの特徴的な盛り上がった髪型(いわゆるビーハイブヘア)の俗称(ボーイング社の爆撃機、B-52のノーズコーン部分に似ているため)から名付けられている。

 

来歴[編集]

1978年4月、地元のインディ・レーベルのDBレコーズからデビュー・シングル「ロック・ロブスター」をリリース[9]ニューヨークのライヴ・ハウス「CBGB」に出演していたところを、アイランド・レコードのオーナー、クリス・ブラックウェルに認められ、翌1979年にワーナー・ブラザース・レコードと契約した。ブラックウェルのプロデュースの下、バハマナッソーでファースト・アルバムのレコーディングを行った。「ロック・ロブスター」と「52ガールズ」はこのとき再録音され、アルバム『警告! THE B-52'S来襲』は同年7月6日に発売された。50'sスタイルの派手な衣装に、奇妙奇天烈でひねりのあるサウンドが特徴。当時勃興していたパンクニュー・ウェイヴの新進アーティストとして注目を浴びる。同年11月、初の日本公演を行う。

 

1980年8月、レット・デイヴィスのプロデュースでセカンドアルバム『禁断の惑星』を発表。

 

1981年7月、6曲入りのリミックス・アルバム『Party Mix!』を発表。同年9月、トーキング・ヘッズデヴィッド・バーンをプロデューサーに迎え、グループはアルバム制作のためニューヨークのブランク・テープ・スタジオに入った。バーンはソロ・アルバム『The Catherine Wheel』のレコ―ディングで多忙を極めていたが、依頼を引き受けた。しかしバーンとレコード会社との軋轢のせいで、6曲しか録音できず、1982年1月にEP『Mesopotamia』として発表した。

 

1983年スティーヴン・スタンレイのプロデュースで3枚目のアルバム『Whammy!』を発表。

 

1985年、新作のレコーディング中にリッキー・ウィルソンエイズのため急逝。1986年トニー・マンスフィールドのプロデュースで4thアルバム『Bouncing Off the Satellites』を完成させるが、リッキーの死による影響で約2年間、活動を休止する。

 

1988年、音楽活動を再開し、翌1989年にリプリーズ・レコードへ移籍。同年ナイル・ロジャースドン・ウォズのプロデュースによる5thアルバム『Cosmic Thing』を発表。シングル・カットされた「ラヴ・シャック」「ローム」が大ヒット。「デッドビート・クラブ」もヒットした。以降はアメリカでも人気が定着。1991年にはケイト・ピアソンが同じアセンズ出身のバンドであるR.E.M.のアルバム『アウト・オブ・タイム』に参加、こちらも大ヒットを記録する。

 

その後、シンディが脱退したものの、1992年に前作と同じくナイル・ロジャースとドン・ウォズのプロデュースにより、6thアルバム『Good Stuff』を発表。1994年には映画『フリントストーン』のテーマ曲を手がけた。映画本編にもネオ原始人のふん装で登場し、The B-52'sならぬ、The BC-52'sとして大ヒットを記録。

 

1998年にはシンディが復帰し、ベスト盤『Time Capsule: Songs for a Future Generation 』のために2曲の新曲をレコーディング、また全米ツアーも大成功のうちに終わらせている。1999年には、ケイト・ピアソンが、プラスチックス佐久間正英JUDY AND MARYYUKIジャパンミック・カーンらとユニットNiNa」を結成し、アルバム『NiNa』を発表する。

 

「Rock Lobster / The B-52's」

http://rocksblog.seesaa.net/article/222212686.html