B.B. King - The Thrill Is Gone [Crossroads 2010] (Official Live Video)
B. B. King - The Thrill Is Gone (Live at Montreux 1993) | Stages
渋いが、聞き惚れてしまう
B. B.キングのギターには、心に沁みるものがある。
初登場ですが、今後も更新していきます
ライリー・B.キング(Riley B. King、1925年9月16日 - 2015年5月14日)は、B.B.キング(B.B. King)の名で知られるアメリカ合衆国のシンガーソングライター、ギタリスト、音楽プロデューサー。1950年代から晩年まで活躍したブルース界の巨人。ブルース界にただならぬ影響と業績を残したことから、「キング・オブ・ブルース」とも称される[7]。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第3位、2011年の改訂版では第6位。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第96位[8]。
略歴[編集]
1925年9月16日にミシシッピ州北西部のイッタベーナのプランテーションに生まれる[9]。幼少の頃は小作人として働く。その後ギターを手にし、幼くして頭角を現し始める。T-ボーン・ウォーカーやロニー・ジョンソンと言ったギタリストの音楽だけではなく、ゴスペル音楽にも触れていたという。
1943年に州内のインディアノーラに移住し、その3ヵ月後にはテネシー州のメンフィスに移り住む。キングはそこで、いとこのブッカ・ホワイトに教わりながらギター・テクニックを磨いていく。
やがてキングはメンフィスのラジオ局WDIAでDJをするようになった。当時は「Blues Boy」と呼ばれており、その後「B.B.」と略されるようになった[1]。これが芸名の名前の由来である[2]。
1949年、ナッシュビルのレーベル、ブレット・レコードに4曲を吹き込み、レコード・デビューを果たした。翌年には、ロサンゼルスのモダン/RPMと契約する[2]。1951年末にシングル「3 O'clock Blues」がR&Bチャートの1位を記録[2]。これを機に以降、数多くのヒットを世に送り出す存在となった。
1964年には、後に多くのアーティストが取り上げるスタンダード・ナンバーとなった「Rock Me Baby」を発表。1969年に発表された「Thrill Is Gone」のリメイク(原曲はロイ・ホーキンス)では翌年のグラミー賞を受賞した[10]。1971年6月にはロンドンでピーター・グリーン、クラウス・フォアマン、アレクシス・コーナー、リンゴ・スター等のゲストを迎えてアルバム『In London』を録音[11]。その後も彼の活躍は続き、1951年から1985年までの間に実に74回もビルボードのR&Bチャートに曲を送り込んでいる。
1980年代から2000年までの間は、アルバムのリリースは少なくなる一方、テレビのショーへの出演やライブへの出演が多くなり、特にライブの回数は年に300回にも達していたという[2]。1988年にはU2と「When Love Comes To Town」で共演、同曲は翌年にはシングルとしてヒットした。1993年には多くのブルース・ミュージシャンをゲストに迎えたアルバム『Blues Summit』を発表し、同アルバムでグラミー賞を受賞[10]。1997年のアルバム『Deuces Wild』にはヴァン・モリソン、ドクター・ジョン、ローリング・ストーンズ、ウィリー・ネルソン等、B.B.キングを慕うアーティストが参加。1998年には長いキャリアにおいて初のセルフ・プロデュース作品『Blues on the Bayou』を発表し、同アルバムでグラミー賞を受賞[10]。2000年にはエリック・クラプトンとのアルバム『Riding With the King』を製作した。また、1998年に公開された映画『ブルース・ブラザース2000』では、クラプトンと共演している。
1987年にロックの殿堂入りを果たし、授賞式にはスティングがプレゼンターとして出向いた[12]。また1991年には米国立芸術基金(NEA)の選定するNational Heritage Fellowship(日本の人間国宝に相当)にも選ばれている[13]。
2015年5月1日に自身のホームページ及びFacebookでラスベガスの自宅で在宅介護を受けていることを表明した。
「The Thrill Is Gone / B. B. King」