U2 - Pride (In The Name Of Love) (Official Music Video)

U2 - Pride (In The Name Of Love) (Live)

 

これまでにU2を更新した回は、下記です。

 

詞には強烈なメッセージが込められている。

 

広島・長崎の原爆記念館をU2のボノは訪れています。

 

原爆記念館にまだ行かれていない皆様は、是非1度ご来訪をお勧め致します。

 

(写真は全て1984年のU2)

 

プライド」(Pride (In the Name of Love))は、U2のアルバム『』からのリードシングルで、公民権運動の指導者であったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアに捧げられた曲である。UKチャートでは3位に入り、初のトップ5、USチャートでは33位に入り、初のトップ40を果たした。また、ニュージーランド・チャートでは1位に輝き、あらゆるチャートでU2のシングルが1位を記録したのはこれが初めてである。

 

当初、歌詞は強硬な外交政策を採ってリベラル層から反感を買っていたアメリカ大統領ロナルド・レーガンを批判する内容だったが(「Pride」とはレーガンの傲慢なプライドの意味だった)、上手くいかなかった。「僕はある賢者の言葉を思い出した。『光で闇と戦おうとするな。ただ光を照らせ』ってね。僕はレーガンを過大評価してたんだ」とボノは語った。

その後、ボノはシカゴ平和博物館を訪れ、広島・長崎の原爆被害者が書いた絵とマーチン・ルーサー・キングの展示会を見てインスピレーションを受け、さらにキングとマルコムXの伝記を読んで、市民運動や暴力と非暴力を曲のテーマにすることを思いついた。

そのアイデアを初めて聞いたとき、エッジは、アイルランドでは暴力が日常沙汰なのに非暴力をテーマにするなんてU2に相応しくないと思ったのだが、ボノが歌ってみせるとすぐに気に入り、その方向性で曲作りを進めることにした[8]


「俺が……平和の体現者たちに興味を持つのは、自分が彼らのような人間ではなく、でも彼らのようになりたいと願っているからなんだ。実生活では僕は決して『もし右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい』なんて男じゃない」 「自分が感情的になりやすいのにはうんざりするね。高い理想や大望についても歌っているし、マーティン・ルーサー・キング牧師とかジョン・ヒュームとか、平和主義者の人々に憧れてもいるのに……俺ときたら、暴力的なことだってやりかねない人間なんだ。自分の中でそういう感情が頭をもたげて、抑えきれずに誰かを殴ったら最低じゃないか」[9]

— ボノ

 

しかし、ボノは歌詞の出来には満足しておらず、後年、未完成に終わった「Bad」の歌詞とともに「単なるスケッチだ」と言い、「素晴らしい曲だとは思うけど、一体なんの曲なんだい? ただ母音を連ねて偉大な人物を描写してるだけじゃないか。感覚的には素晴らしいアートだろう……もしも英語を話せれなければだけどね」と腐している。 共作者のエッジもイーノもラノワも「感覚的」な人間で、歌詞にあまり重きを置いていなかった。しかも、実際キングが暗殺された時刻は午後6時にもかかわらず、歌詞は「Early morning, April 4」と誤って記されており、そのためライブでは「Early evening」と歌い直すこととなった。

 

レコーディングは困難を極め、特にコーラスが上手く行かなかったのだが、ちょうどダブリンをライブで訪れていたプリテンダーズクリッシー・ハインドがバッキング・ボーカルを入れ、ようやく完成に漕ぎ着けた。なお、クリッシーは当時シンプル・マインズジム・カーと結婚していたため、クレジットでは"Mrs. Christine Kerr"と記されている[10]

 

ブライアン・イーノは終始「Pride」(と「The Unforgettable Fire」)には関心を示さなかったが、

レコーディング中にスタジオを訪れたスティーヴ・リリーホワイトは、 「『プライド』がある限り、君たちは大丈夫だ」とメンバーを励まし、実際にはU2の代表曲となった。後年、ボノは「僕たちが書いた中でもっとも成功したポップソングだ」と語っている。

「僕は『ポップ』という言葉をもっともポジティブな意味で使ってる。僕にとってポップとは、わかりやすいって事だ。聴けば、すぐに理解できる。本能で理解できるんだ。多くのアルバムは全然そんなんじゃないよ」と。 

なお、キングの未亡人コレッタ・スコット・キングは、この曲がリリースされると、U2をアトランタのマーチン・ルーサー・キング・センターに招待、84年のアメリカ・ツアーの際にメンバーは訪れた。

 

 

「Pride (In The Name Of Love) / U2」