Tell It Like It Is
Aaron Neville - Tell It Like It Is [1988]
この曲も実は、ドン・ジョンソンのカヴァーから知った曲です
Don Johnson - Tell It Like It Is (Video)
私が初めてアーロン・ネヴィルを知ったのは、
1990年、リンダ・ロンシュタットとのデュエットです
アーロン・ネヴィル (Aaron Neville、1941年1月24日 - ) は、米国ルイジアナ州ニューオーリンズ出身のR&Bシンガー。ネヴィル・ブラザーズのメンバーの一人として知られるが、メンバーの中では最も早くからソロ・アーティストとしても成功を収めている。ヨーデルを彷彿させる甘い独特な美声を持つ。アイヴァン・ネヴィルの父親である。
1960年、ミニット・レコードより"Over You"でソロ・デビュー。これがR&Bチャートの21位を記録するヒットとなった。同レーベルではアラン・トゥーサンのプロデュースの下で1962年までレコーディングを重ねた。1967年には、ミニット音源がLPLike It 'Tisとしてリリースされている。
アーロンの最大のヒットとなったのは、ミニットを離れたのち、パーロ・レーベルから1966年に放ったシングル"Tell It Like It Is"であった。翌1967年、R&Bチャートのトップに輝き、ポップ・チャートでも2位を記録している[1]。
1989年には、リンダ・ロンシュタットのアルバムCry Like a Rainstorm, Howl Like the Windに参加。このアルバムに収録された"Don't Know Much"、"All My Life"の2曲がそれぞれ1990年、1991年のグラミー賞ベスト・デュオ賞を受賞した。
1991年、ロンシュタットのプロデュースによりA&Mレコードからの第一弾、Warm Your Heartをリリース。以後同レーベルからは、計5枚のアルバムをリリースしている。また、1992年にはケニー・GのアルバムBreathlessに収録された"Even If My Heart Would Break"にゲスト参加しており、この曲は同年公開の映画『ボディガード』のサウンドトラックで使用された。
2005年のハリケーン・カトリーナによってニューオーリンズの自宅が全壊し、アーロンはナッシュヴィルへと避難した。カトリーナ後のニューオーリンズの汚染された空気が持病の喘息に悪影響を与えるとの医師の判断から、アーロンはしばらくニューオーリンズに戻らなかった[2]。その後、2008年のニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルにおけるネヴィル・ブラザーズ公演で故郷への凱旋を果たした[3]。
2013年1月、ドン・ウォズとキース・リチャーズの共同プロデュースによるブルーノート・レコード移籍第1弾アルバム『マイ・トゥルー・ストーリー』を発表[4]。
2016年、アルバム『Apache』をリリース。
「Tell It Like It Is / Aaron Neville」