Stevie Nicks - Edge of Seventeen (Official Music Video)
Stevie Nicks - Edge Of Seventeen (Live In Chicago)
これまでにスティービー・ニックスを更新した回は、下記です。
1970年代から情緒不安定な時期が続き、
それは2000年代まで長きに渡り続いた。
wikipediaには詳しく記されていないが、
実際にはフリートウッド・マックのレコーディング進度にも大きな影響が出た。
スティーヴィー・ニックス(Stevie Nicks、1948年5月26日 - )は、アメリカ合衆国出身の女性ボーカリスト、シンガーソングライター。
ロックバンド「フリートウッド・マック」のメンバー。ソロとしても多数の実績を併せ持ち、その妖艶なイメージから"ロックの歌姫"とも呼ばれる。
ローリング・ストーン誌選出「歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第98位[1]、Q誌選出では第97位[2]。
祖父がカントリー・ミュージックの歌手だった影響もあり、4歳頃から両親が経営するバーで歌い始める。10代半ば頃には楽曲の創作も始め、アマチュアバンドに参加していた[3]。
1968年、高校時代のボーイフレンド リンジー・バッキンガムが所属するバンドに誘われ、歌手活動を経験。ウェイトレスなどで生活費を稼ぎながら活動した。同バンド解散後の1972年に、リンジーとデュオユニット「バッキンガム・ニックス」を結成。翌年に大手レーベル「ポリドール・レコード」からデビュー[4]。
2ndアルバム制作途中のデモテープ「Frozen Love」という楽曲を、フリートウッド・マックのメンバー ミック・フリートウッドが聴いたことがきっかけで、1975年にリンジーと共にグループに招かれて加入。1977年、同バンドのアルバム『噂』の成功で世界的な名声を得た。
1981年7月27日、ファースト・ソロアルバム『麗しのベラ・ドンナ(Bella Donna)』を発表。ビルボードのアルバムチャートの1位を記録した。
また、同アルバムからシングルカットされたトム・ペティとの共作「Stop Draggin' My Heart Around」は全米3位、ドン・ヘンリーとの共作「レザー・アンド・レース」は全米6位、「エッジ・オブ・セブンティーン」は全米11位を記録した。
『麗しのベラ・ドンナ』が発売された頃、高校以来の無二の親友であるロビン・スナイダー・アンダーソンから電話を受け、彼女が白血病にかかったことを知らされる。ロビンは妊娠しており、男の子を早産した2日後の1982年10月5日、息を引き取った[5]。ニックスは赤ん坊の面倒を見ることに決め、「わからないけれど、私たちは結婚するべきだと思う」とロビンの夫のキム・アンダーソンに言い、ロビンの死から3か月後に結婚したが、その3か月後に離婚した[6][7]。
1978年にフリートウッド・マック名義で「グラミー賞」を受賞し、これまで7回以上ノミネート。1998年には同名義[8]、2019年にはソロ名義で「ロックの殿堂」入りを果たした[9]。
コカイン依存と抗不安薬依存だった過去があり、これを克服している[10]。
「Edge Of Seventeen / Stevie Nicks」