Duran Duran - Rio (Official Music Video)

Duran Duran - Rio - 12/31/1982 - Palladium (Official)

これまでにデュラン・デュランを更新した回は、下記です。

 

1982年11月にまずイギリスや日本でリリースされ、

イギリスで9位、アメリカでは1983年4月に14位を記録した曲音譜

 

どのMusic Videoも凝っていて、

特にこの楽曲は、Saxが最高に決まっているが、

ジョン・テイラーのbassも凄く好きだアップ

 

ニック・ローズのkey boardもとても印象深い!!

 

 

デュラン・デュラン英語Duran Duran)は、イギリスロックバンド1978年イングランド中部・バーミンガムにて結成された。1980年代前半のニューロマンティックNew Romantic)といわれるムーブメントやMTVブームの火付け役。バンド名はジェーン・フォンダが主演したSF映画『バーバレラ』(1968年)で登場する悪役「デュラン・デュラン(Durand-Durand)博士」より。当時バンドの登竜門となっていた、バーミンガムのクラブ『バーバレラ』が、同映画から命名されていたため、バーバレラでの演奏を目指す意思を表明したものである。

 

  • 1981年2月、シングル「プラネット・アース」(英12位)でデビュー。
4月、シングル「ケアレス・メモリーズ」(英37位)リリース。
6月、1stアルバム『デュラン・デュラン』リリース。全英チャートで3位を記録。2度目の全英ツアーを行う。
7月、シングル「グラビアの美少女」(英5位)リリース。
9月、パリ、ブリュッセルなどでライブ。その後、全米ツアーを行う。
11月、シングル「マイ・オウン・ウェイ」(英14位)リリース。
12月、3度目の全英ツアーを行う。
  • 1982年4月、PV撮影のため、スリランカへ。
4月25日 - 5月1日、初来日公演。東京、大阪、名古屋で5公演を行う。
5月、シングル「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」(英5位)リリース。2ndアルバム『リオ』(英2位)リリース。
6月から8月にかけて、北米ツアーを行う。8月からはブロンディのオープニング・アクトだった。
8月、シングル「セイヴ・ア・プレイヤー」(英2位)リリース。
9月から10月に、ヨーロッパ・ツアーを行う。
10月30日から、全英ツアーを行う。
11月、シングル「リオ」(英9位/アメリカでは1983年4月、最高位14位)リリース。
12月、ビルボード・チャートに「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」が77位に初登場。1983年3月、最高位3位を記録。
  • 1983年3月、シングル「プリーズ・テル・ミー・ナウ」(英1位/米4位)リリース。
4月、映像クリップ集『デュラン・デュラン』リリース。
6月、1stアルバム『デュラン・デュラン』に「プリーズ・テル・ミー・ナウ」を追加収録して、アメリカと日本で再リリース(米10位)。
2ndアルバム『リオ』が、アメリカで最高位6位を記録。
7月、イギリス王室主催のチャリティ・コンサートに出演。
9月、ジョン・テイラーとロジャー・テイラーが、プロモーションのため来日。
10月、シングル「ユニオン・オブ・ザ・スネイク」(英3位/米3位)リリース。
11月、3rdアルバム『セブン・アンド・ザ・ラグド・タイガー』(英1位/米8位)リリース。
12月、全英ツアー開始。
  • 1984年、シングル「ニュー・ムーン・オン・マンデイ」リリース。そして「ザ・リフレックス」が全米(6月23日付〜6月30日付の2週連続)、全英で初のシングルチャートNo.1を獲得。続く「ワイルド・ボーイズ」は全米(12月15日付〜1985年1月5日付の4週連続)、全英共に第2位だった。
  • 1985年、シングル「セイヴ・ア・プレイヤー」(米16位)がアメリカで発売。サイドプロジェクトも始動。ジョン・テイラーとアンディ・テイラーがドラマーに元シックトニー・トンプソン、ボーカルにロバート・パーマーを従えパワー・ステーションを結成。アメリカでヒットする。ル・ボン、ローズ、ロジャー・テイラーはアーケイディアを結成し、アルバムにスティングデヴィッド・ギルモア土屋昌巳などの参加で話題を呼ぶ。同年7月13日に行われたライヴエイドに参加(参加会場は母国のイギリスではなくアメリカフィラデルフィアJFKスタジアム)。「007 美しき獲物たち」「ユニオン・オブ・ザ・スネイク」「セイヴ・ア・プレイヤー」「ザ・リフレックス」を披露。なおパワー・ステーションも参加している。
  • そしてシングル「007 美しき獲物たち」が2週連続第1位(7月13日付-7月20日付)を獲得(なお全英では第2位)。
  • ロジャー・テイラー(実家の農家に専念するために脱退。後にアルバム『サンキュー』に2曲参加)とアンディ・テイラー(4thアルバム『ノトーリアス』に数曲参加)が脱退する。

 

「Rio / Duran Duran」