Huey Lewis & The News - Do You Believe In Love
Huey Lewis and the News - Do You Believe in Love - LIVE 1982
これまでにヒューイ・ルイス&ザ・ニュースを更新した回は、下記です。
長い下積み時期を経て、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースは、この曲で日の目を見た
1979年に失業中のミュージシャンが集まり、それがヒューイ・ルイス&ザ・ニュースとなった。
ヒューイ・ルイスのフィル・ライノットから多くを学んだ、
後輩ミュージシャンを助けるという人柄がとても好きです。
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース(Huey Lewis & The News)は、アメリカのロック・バンド。
1980年代に数々のヒットで高い人気を博したアメリカン・ロックの代表的存在。特に、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主題歌で世界的なブレイクを果たした。
骨太のロックンロールを基盤に、ヒューイのハスキーボイスと爽やかなハーモニーを特徴とするキャッチーなサウンドは、1980年代アメリカのポジティブなイメージをそのまま音楽で表した存在と評されている。
ヒューイ・ルイス(Huey Lewis)は1950年7月5日にニューヨークで生まれる。母親がヒッピー思想家であり、白人ながら黒人居住区に住んでいたことで、自然とR&Bなどの黒人音楽に親しむようになった。コーネル大学工学部に入学するがすぐ退学。ほどなくしてサンフランシスコへ引っ越した。
コーネル大学時代にバンドを結成し音楽活動を始め、1972年にショーン・ホッパーとともにカントリーロック・バンドのクローバーに加入する(クローバーの前身、タイニー・ヒアリング・エイド・カンパニーは1966年結成。翌1967年にクローバーと改める)。1976年、クローバーはパブロック界の大御所ニック・ロウの誘いを受けて渡英、エルヴィス・コステロのファーストアルバムのバックを務めることとなる。
ヒューイの加入後、1977年にサードアルバムをリリース、その後4枚目のアルバムも発表したが解散。なお、サードアルバムのジャケット表記では、ヒューイは「HUEY LOUIS」という綴りになっていた。
この時期ヒューイをはじめとするクローバーの面々はアイルランド・ダブリン出身でイギリスでも高い人気を得ていたシン・リジィの前座として起用され、その縁でリジィのアルバム『ライヴ・アンド・デンジャラス』にヒューイがブルースハープ奏者として参加している。
ヒューイはリジィのリーダーであったフィル・ライノットから多くのことを学び、自らの糧とする。後述するようにヒューイは多くの才能の発掘・人気向上に力を貸すことになるが、その姿勢は駆け出しのU2、ブームタウン・ラッツなどに力を貸したライノットの姿勢に重なるところがある。
クローバー解散後ヒューイはサンフランシスコに戻ってアメリカン・エキスプレスというバンドを結成するが、これも失敗に終わっている。
その後、ヒューイ・ルイスは、1979年に失業中のミュージシャン達を集め、
サンフランシスコにかつて存在した、「アンクル・チャーリーズ」という酒場で、後にニュースのメンバーとなる、ジョニー・コーラ、クリス・ヘイズ、マリオ・シポリナ、ビル・ギブソン、ショーン・ホッパー(ヒューイと共にクローバーで活動していた)らとバー・バンドとして活動を始めた。そんな中、後にマネージャーとなる、ビル・ブラウンが彼らの才能を見出して、彼の力でめでたくクリサリス・レコード社との契約を結んだ。
下積みを経て1980年、ヒューイ・ルイス&ジ・アメリカン・エキスプレスを結成、これがヒューイ・ルイス&ザ・ニュースと名を変えてデビューする運びとなった。1980年にリリースされたファースト・アルバム『ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース』は、商業的失敗に終わったが、
1982年、セカンドアルバムである『ベイエリアの風』からシングルカットされた「ビリーヴ・イン・ラヴ」がヒットし、ようやくヒューイは陽の目を見る。
「Do You Believe In Love / Huey Lewis & The News」