The Buggles - Video Killed The Radio Star (HD)
The Buggles - Video Killed The Radio Star (Official Music Video)
The Buggles - Video Killed The Radio Star HD (Live 2004)
エンディングのジェフリー・ダウンズのKey boardが素晴らしいので、
1番目にrecord versionを持ってきました
特にトレヴァー・ホーンが好きな訳でも無く、
ジェフ・ダウンズが好きなだけです
バグルス(The Buggles)は、イングランド出身のニュー・ウェイヴ・デュオ。楽曲「ラジオ・スターの悲劇」のヒットで知られる、ニュー・ウェイヴ期の代表的グループ。
1970年代にトレヴァー・ホーン(ベース)、ジェフ(ジェフリー)・ダウンズ(キーボード)、ブルース・ウーリィ(英語版)(ギター)の3人は、イギリスのシンガー、ティナ・チャールズ(英語版)のバック・バンドとしてキャリアをスタートさせている。
1977年、ホーン、ダウンズ、ウーリィによりバグルスを結成。トレヴァー・ホーンは当初よりプロデューサー志向であり、3人で多くのCM関係の音楽を制作している。現在、ハリウッドで映画音楽作曲家として活躍するハンス・ジマーも裏方として参加しており、ホーンとジマーは後に映画『トイズ』で共作もしている。その後ウーリィは自身のグループ、ザ・カメラ・クラブ(Bruce Woolley & The Camera Club)に注力するため離脱。
1979年に、デビュー曲の「ラジオ・スターの悲劇(Video Killed The Radio Star)」が全英1位の大ヒットを記録。
初出はザ・カメラ・クラブのアルバム収録曲であったが、バグルスのバージョンは秀逸に計算した音作りに仕上げ、ニュー・ウェイヴの時代を象徴する一曲となった。
ファースト・アルバム『ラジオ・スターの悲劇』(The Age of Plastic)発表後の1980年、ホーンとダウンズの2人はそろってイエスに加入する(バグルスはイエスと同じくブライアン・レーンのマネージメント・オフィスに所属していた関係があった)。ホーンがボーカル、ダウンズがキーボードを担当したイエスはアルバム『ドラマ』を発表し、欧米のツアーを行なった。
しかし、従来のイエス・ファンからはボーカリストの交代が不評をもって迎えられ(ステージに登場したホーンに対してのかなりの罵声があったと言われている)、ツアー終了後にホーンが脱退し、イエスは解散状態になった[5]。
1981年、2人は再びバグルスとしてセカンド・アルバム『モダン・レコーディングの冒険』を発表するが、まもなく活動を停止した。モダン・レコーディングの冒険を編集している頃は、
ダウンズは既に制作から去ってエイジアの結成に参加しており、
ホーン一人での作業だった。このため、当時、実質的にバグルスはホーンの個人バンドであったと認識されるに至っている。
その後、ホーンは売れっ子プロデューサーとして一時代を築き(後の再結成イエスのプロデュースも担当し「ロンリー・ハート」などのヒット曲を制作)、ZTTレコーズの設立にも名を連ねた。
一方、ダウンズはエイジアの中心人物として活動を継続している[6]。
楽曲「ラジオ・スターの悲劇」は、1981年8月1日にアメリカで開局したMTVが、記念すべき一曲目のミュージック・ビデオに採用。
そのほか多くのアーティストによってカバーされた。2000年6月、ブロード・バンド(The Broad Band)によるパロディー音楽「ビデオ・スターの悲劇(Internet Killed The Video Star)」としてカバーされ、Shockwave.com(英語版)でFlashアニメーションとして配信された。
2011年、イエスのアルバム『フライ・フロム・ヒア』に、ダウンズがメンバーとして参加し、ホーンがプロデュースを担当した。表題曲は2人がイエスに参加していた頃に作られた楽曲をベースに再構成されている。原曲のバグルス・ヴァージョンは2010年に発売された『モダン・レコーディングの冒険』再発CDにボーナストラックとして収録されている[7]。
「Video Killed The Radio Star/The Buggles」