jerry lee lewis great balls of fire

 

 

Jerry Lee Lewis - Great Balls Of Fire (Jerry Lee Lewis And Friends)

 

 

生ける伝説、ジェリー・リー・ルイスアップ

 

本当に かっこいい音譜

 

根っからのショウマンシップに感激ビックリマーク

日本でも、もっと評価が高くていいと思う。

 

 

ジェリー・リー・ルイス(Jerry Lee Lewis、1935年9月29日 - )は、アメリカロックンロールおよびカントリー・ミュージックシンガーソングライター、ピアニスト。

 

1950年代後半のロックンロールで活躍し、「キラー (The Killer ) 」の愛称で呼ばれ、「ロックンロール初のワイルドな男」と言われることもある[1]。ロックのごく初期の先駆者として、1956年、ルイスはサン・レコードで初めてレコーディングを行なった。『Crazy Arms 』はアメリカ合衆国南部で30万枚を売り上げたが、1957年の『Whole Lotta Shakin' Goin' On 』で世界的に有名になった。その後火の玉ロック英語版)』、『Breathless 』、『High School Confidential 』などを発表した。

しかし、22歳の時に親戚の13歳の少女と結婚していたことが発覚してロック界から脱落した。

 

出演料も1万ドルから250ドルにまで下がってしまった。彼は人気を取り戻そうと決心した。1960年代初頭、『What'd I Say 』など数曲以外はヒットしなかった。その頃の演奏はさらにワイルドでエネルギッシュになっていた。1964年のアルバム『Live at the Star Club, Hamburg 』は多くの音楽ジャーナリストやファンからかつてないワイルドで素晴らしいロックのライヴ・アルバムとみなされている。『I'm on Fire 』などをレコーディングしていた数年間、大きなヒットとはならなかったが、1968年、カントリーに転向すると『Another Place, Another Time 』などのヒット曲を生み出した。1960年代終盤から1970年代までの再燃でカントリー・チャートのトップに頻繁に登場するようになった。

To Make Love Sweeter For You 』、『There Must Be More to Love Than This 』、『Would You Take Another Chance on Me 』、『ミー・アンド・ボビー・マギー』などの曲がカントリー・チャートで第1位を獲得した。

 

ルイスの成功は約10年続き、ザ・ビッグ・ボッパーの『Chantilly Lace 』や『Rockin' My Life Away 』のカヴァーなどを含む過去のロックの曲もヒットした。21世紀に入り、ルイスはコンサート・ツアーで世界をまわり、新しいアルバムも発表している。2006年のアルバム『Last Man Standing 』は世界中で100万枚以上を売り上げ、彼のアルバム売り上げ記録を更新した。2010年のアルバム『Mean Old Man 』はルイスのアルバムの中でも高い売り上げの1つとなった。

 

ルイスはロックとカントリー双方合わせて10回以上ゴールド・ディスクの認定を受け、特別功労賞を含み何度かグラミー賞も受賞している。1986年、ロックの殿堂入りし、このジャンルへの彼の貢献はロカビリーの殿堂でも確認することができる。

1989年、デニス・クエイド主演の映画『Great Balls of Fire! 』で半生が描かれた。2003年、『ローリング・ストーン』誌はボックス・セットAll Killer, No Filler: The Anthology 』を「Rolling Stone's 500 Greatest Albums of All Time 」の第242位にランク付けした[2]

2004年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第24位にランク付けした[3]

また「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第67位にランク付けした[4]

 

1956年11月、サン・レコードのオーディションを受けるためにテネシー州メンフィスに向かった。サン・レコードのオーナーのサム・フィリップスフロリダ州にいたため会えなかったが、プロデューサー兼エンジニアのジャック・クレメントがルイスが歌うレイ・プライスの『Crazy Arms 』とルイス作の『End of The Road 』をレコーディングした。同年12月、サン・レコード所属のカール・パーキンスジョニー・キャッシュと同様、ソロとしてだけでなくスタジオ・ミュージシャンとしても多くのレコーディングに参加した。1956年終盤から1957年初頭まで、パーキンスの『マッチボックス』、『Your True Love 』、『You Can Do No Wrong 』、『Put Your Cat Clothes On 』、ビリー・リー・ライリーの『Flyin' Saucers Rock'n'Roll 』などサン・レコード出版のレコードで彼の独特のピアノを聴くことができる。それまではロカビリーでピアノを前面に出すことはなかったが、彼の影響で他のレコード会社もロカビリーにピアノ奏者を取り入れるようになった。

 

1956年12月4日、ルイスのピアノ演奏でパーキンスが新曲のレコーディングをするためにサン・レコードにいた時に、エルヴィス・プレスリーがフィリップスに会いにサン・レコードに立ち寄った。キャッシュもパーキンスのレコーディングを見るためその場にいた。4人は即興でジャム・セッションを始め、フィリップスはそれを録音した[7]。この時演奏された曲の約半数がゴスペル曲や伝統曲であった。このセッションは後に『ミリオン・ダラー・カルテット』のタイトルでCDとして出版された。収録曲にはプレスリーの『Don't Be Cruel 』、『Paralyzed 』、チャック・ベリーの『Brown Eyed Handsome Man 』、パット・ブーンの『Don't Forbid Me 』の他、プレスリーが自身の物真似をするジャッキー・ウィルソンの『Don't Be Cruel 』を真似する様子も含まれている。

 

1957年、『Whole Lotta Shakin' Goin' On [8]』、彼の最大のヒット曲『火の玉ロック[9]』(73年にミッシェル・ポルナレフがカバー)で一躍スターダムにのし上がり世界的に有名になったが、その一方で歌詞の刺激が強過ぎるとしてラジオ局でボイコットされることもあった。2005年、『Whole Lotta Shakin' Goin' On 』はアメリカ議会図書館National Recording Registry に永久保存されることとなった。

 

演奏中、ピアノの椅子を蹴ったり、立ったままピアノを弾いたり、叩くように劇的なアクセントをつけて弾いたり、鍵盤の上に座ったり、楽器の上に立ったりした。ラジオ・ドキュメンタリーPop Chronicles 』でルイスは、椅子を蹴ったのは最初は偶然だったが、反応が良かったため続けたと語った[7]。1957年7月28日、『The Steve Allen Show 』でテレビ初登場し、『Whole Lotta Shakin' Goin' On 』を演奏中に上記のアクションを行なった[11][12]。ライヴの最後にピアノに火をつけたと世間には認知されているが、これについてルイスは『エスクァイア』オンライン版で「私はピアノに火をつけたことはない。ずっと否定したかったのだが」と語った。

 

「Great Balls Of Fire / Jerry Lee Lewis」