Chicago - Hard To Say I'm Sorry (Official Music Video)
Chicago - Hard To Say I'm Sorry/Get Away
名曲が7日目の10/23にupdateされていた
ここまで美声のヴォーカリストが居るだろうか
Voice of America
と言われる程、ピーター・セテラの声は美声だ。
2番目のYoutubeの2曲目の「Get Away」に行く前、
ホーン・セクションの流れ、好きだ
ピーター・セテラ(Peter Cetera、1944年9月13日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身のミュージシャン。ロックバンド、シカゴの元ボーカリスト。シカゴ時代だけでなくソロとしても成功を収めた。特徴のある伸びやかなハイトーンの歌声は「ミリオン・ダラー・ボイス(100万ドルの声)」と評される。
アメリカ、イリノイ州シカゴでポーランド系移民の両親のもとに生まれる(ポーランド語による名前はピョートル・ツェテラ = Piotr Ceteraとなる)。敬虔なカトリック教徒としての教育を受け、幼少より教会で合唱、ポーランド人会でアコーディオンとギターを習った。
1967年、シカゴの前身となるバンド、ザ・ビッグ・シングにボーカリスト兼ベーシストとして加入。1969年にバンドはシカゴとしてデビュー。ピーターは「長い夜」などのヒット曲のリード・ボーカルを務める。なおビリー・ジョエルの楽曲「マイ・ライフ」では、同じくシカゴに所属するドニー・デイカスとともにバック・コーラスとして参加している。
シカゴ在籍中の1981年には初のソロ・アルバムを発表するが、当時はシカゴの低迷期でもあり、さほど話題にもならなかった。ところが翌1982年、レコード会社を移籍したシカゴはプロデューサーとしてデイヴィッド・フォスターを迎え、キーボードのロバート・ラムに代わってセテラがそれまでより積極的に作詞作曲に参加。アルバム『シカゴ16』を大ヒットさせる。現在もバラード曲のスタンダードとして親しまれている「素直になれなくて」は全米1位を記録した。
「素直になれなくて」(Hard to Say I'm Sorry)は、アメリカのロックバンドであるシカゴが1982年に発表した楽曲で、代表曲のひとつ。バンドメンバーのピーター・セテラとプロデューサーのデイヴィッド・フォスターが制作した。同年、全米シングルチャートで2週間1位を記録した[1]。なお、アルバム『ラヴ・ミー・トゥモロウ(シカゴ16)』に収録されている。
この曲は、シカゴが今までのスタイル(ホーン・セクションを中心にしたソフトロックスタイル)から大きな転換をみせた曲である。ホーンは最小限に抑えられ、その代わりに1980年代の流行であるシンセサイザーと、重く歪んだエレキ・ギターが中心となっている。この変化もあってか、
当時商業的には全盛期を過ぎていたと考えられていたバンドが、この曲で7年ぶりに全米シングルチャートで1位を記録した[1]。日本ではオリコン洋楽シングルチャートで1982年11月1日付から5週連続1位を獲得した[2]。
この曲には、シカゴのバンドメンバーのみならず、セッション・ミュージシャンが参加している。ピアノはプロデューサーのデイヴィッド・フォスターで、アメリカのロックバンド・TOTOのメンバー3人(デヴィッド・ペイチとスティーヴ・ポーカロがキーボードで、スティーヴ・ルカサーがギターを演奏)も参加している[3]。
発表と同年の1982年には、映画『青い恋人たち』(原題:Summer Lovers)のサウンドトラックでも使用された[4]。日本では翌年1983年にプロテニス選手のビンス・バンパタンが出演する三菱自動車のトレディア、1992年にフォード・テルスター、1997年にトヨタ自動車のマークIIクオリスCFソングにもなるなど自動車CMが多い。
チャート[編集]
チャート(1982年/1983年) | 最高位 |
---|---|
アメリカ合衆国・ビルボード・ホット100 | 1 |
アメリカ合衆国・ビルボード・アダルトコンテンポラリ | 1 |
カナダ・シングルチャート | 1 |
全英シングルチャート | 4 |
アイルランド・シングルチャート | 1 |
ドイツ・シングルチャート | 6 |
オーストリア・シングルチャート | 5 |
スイス・シングルチャート | 1 |
オランダ・トップ40 | 22 |
イタリア・シングルチャート | 1 |
日本・オリコン洋楽シングルチャート | 1 |
ニュージーランド・シングルチャート | 13 |
「Hard To Say I'm Sorry / Chicago」