Aerosmith - Sweet Emotion (Live Texxas Jam '78)

 

 

1988年6月24日の日本武道館と、1998年3月9日の東京ドーム、

エアロスミスが2公演見ています音譜

 

日本武道館は音質が良く、東京ドームは音質が悪かったのですが、

 

やはりエアロスミスのLiveなら、1970年代のLiveをリアルタイムで見たかったですビックリマーク

 

その為、1番目のYoutubeに1978年のLiveを持ってきましたアップ

この時期の持つ危うさと、何が飛び出すか分からない緊迫感に満ちたLiveを体感したかったです!!

やはりLiveは、

「何が起きるか分からない」

ワクワク感が無いと面白くないので、アドリブやMCが最高なんです。

この日にしかない演奏を、見に行っているのです音譜

 

 

エアロスミスAerosmith)は、アメリカ合衆国ロックバンド

 

東海岸(ボストン)出身で、第一次ブリティッシュ・インヴェイジョン期の英国バンド等を主な対象として青写真を描きながらも、同時に自国のルーツ・ミュージック(ブルースロックンロールR&Bカントリー・ミュージックファンク等)から、より自然な影響を受け、結果的にR&Bとロックハードロックの懸け橋となるようなサウンドを確立することに成功する。本国においては「America's Greatest Rock and Roll Band」[3][4][5]、「The Bad Boys from Boston」などの紹介のされ方が定着している。

 

2001年に「ロックの殿堂」入り[6]1990年グラミー賞」初受賞。第2回「MTV アイコン・アワード」受賞[7][8]

 

1973年、当時は珍しかったアメリカ東海岸出身のロック・バンドとしてデビュー。メンバーの脱退・一時離脱などを経つつも、現在(2021年時点)に至るまで一度も解散せず、またオリジナルメンバーにて、70年・80年・90年・00年・10年代と、常に第一線で活動し続ける、他に類を見ない経歴を歩むバンドである。

 

これまでに「グラミー賞」4回、「ビルボード・ミュージック・アワード」6回、「アメリカン・ミュージック・アワード」8回、「MTV Video Music Awards」12回、「ミュージケアーズ・パーソン・オブ・ザ・イヤー」などを受賞している[9][10]ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」において10位[11]ローリング・ストーンの選ぶ「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において59位[12]

 

トータルセールスは全世界で1億5,000万枚以上[18][19]で、『最も売れたアーティスト』の1つである。

 

また、バンドの出身地であるボストンを州都に持つマサチューセッツ州は、1993年に当時のウィリアム・ウェルド州知事によって、“4月13日”を『Aerosmith Day』として制定した[20]

 

1970年夏、アメリカニューハンプシャー州サナピー湖にあるクラブ「ザ・バーン」で友人関係にあったジョー・ペリートム・ハミルトンらによるバンド「ザ・ジャムバンド」の演奏をスティーヴン・タイラーが観ており、彼らに新バンドを組む話を持ちかけた事が「エアロスミス」誕生の発端とされている[21]。スティーブンはすでに別のバンド(「ザ・ストレンジャーズ」や「チェーン・リアクション」)でドラマーボーカルとして活動しており、地域で知名度もあった。

 

この新バンドでスティーブンはフロントマンに徹し、ドラマーにジョーイ・クレイマー、もう1人のギタリストにレイモンド・タバーノ(1946〜)が加入し活動がスタート。バンド名はジョーイが高校時代からイメージしていたバンド名にちなんで「エアロスミス」に決まった[注釈 1]。バンドロゴはレイモンドの原案が採り入れられた。

 

しかし、翌1971年にレイモンドが脱退。バンドは新たなギタリストとしてバークリー音楽大学を卒業し、複数のバンドでの経験もあるブラッド・ウィットフォードを迎えることになり、オリジナルメンバーが揃うことになる。

 

 

スウィート・エモーション」(Sweet Emotion)は、エアロスミスの楽曲。1975年4月にコロムビア・レコードからリリースされたアルバム『闇夜のヘヴィ・ロック』収録曲であり[1]、翌5月19日にシングル・カットされた[2]。リード・シンガーのスティーヴン・タイラーとベーシストのトム・ハミルトンが制作し、ジャック・ダグラスがプロデュースし[2][3]レコード・プラント・スタジオでレコーディングが行われた[3]

 

シングル盤「スウィート・エモーション」は[2]Billboard Hot 100で36位に付けたバンドのブレイクスルー・シングルであり、初のトップ40ヒットであった[4]。この曲とアルバムの成功により、バンドは初期シングル「ドリーム・オン」(1973年当時59位)を再リリースすることにした[4][5]。その再リリースバージョンは6位のヒットになり[4][5]、バンドにとって1970年代最高のチャートポジションであった[4]

スウィート・エモーション」は次代においてもデジタル・ダウンロード数300万以上を記録し成功を収めている[6]

 

ローリング・ストーン』誌オールタイム・グレイテスト・ソング500において416位にランクイン[7]

 

スティーヴン・タイラー自身によると、歌詞の一部分はジョー・ペリーの妻からインスパイアされた。

 

「Sweet Emotion / Aerosmith」