Queensryche - Eyes Of A Stranger (Official Music Video)

 

 

Vocalジェフ・テイトの表現力は凄いアップ

 

是非、2番目のYoutube、Liveも御覧くださいビックリマーク

 

Music Videoのほうも、重厚なストーリー仕立てとなっており、興味深い。

 

クイーンズライチは、デフ・レパードと同じマネージャー、ピーター・メンチであった。

 

クイーンズライク (Queensrÿche [ˈkwiːnzraɪk])[注釈 1]は、アメリカ合衆国出身のプログレッシブ・メタルバンド

 

クイーンズライクは、アメリカ国内で600万枚、世界中で2000万枚のアルバムセールスを誇る、プログレッシブ・シーンで成功したバンドのひとつである。

 

少年期にベースを演奏していたマイケル・ウィルトン (Michael Wilton)は、ハイスクールに進むとギターに転向した。1970年代後半には、ハイスクールで出会い友人となったギタリストのクリス・デガーモ (Chris DeGarmo)とともに「Joker」というバンドを結成し、地元のショーやイベントで演奏するなどしていた。ハイスクール卒業後、クラシックジャズなどを学ぶためにシアトルの音楽学校コーニッシュへと進んだマイケル・ウィルトンは、その2年の在学期間中にベーシストのエディ・ジャクソン (Eddie Jackson)、ドラマーのスコット・ロッケンフィールド (Scott Rockenfield)と出会い、1981年、それぞれ別のバンドに在籍していた4人が集結して「ザ・モブ (The Mob)」を結成した。

 

ザ・モブは、ジャムセッションなどをしながらボーカルを持たずに活動していたが、地元のバンドバトル・イベントに出場するためにシンガーを探すことを決意。当時地元で「Babylon」というバンドで活動していたジェフ・テイト (Geoff Tate)に助っ人を依頼し、イベントを乗り切った。しかしジェフ・テイトはその頃まだコピーバンドだったザ・モブに正式に加わることは拒否した[2]

 

1981年デモをリリースすることを決めたザ・モブの4人は、オリジナル曲を作成し、4人で資金を出し合い、レコーディングスタジオを押さえレコーディングに入った。しかしその時もまだシンガーがいなかったため、バンドは再びジェフ・テイトに協力を依頼した。バンドは「Queen of the Reich」「Nightrider」「Blinded」「The Lady Wore Black」の4曲をレコーディング。ジェフ・テイトは、そのときまだ詩のなかった「The Lady Wore Black」の作詞も担当した。しかし当時、「Myth」という自分のバンドで活動していたジェフ・テイトには、このときもやはりザ・モブに正式加入する意思はなかった[2]

 

地元のレコードショップ「Easy Street Records」のオーナーであったキム・ハリス、ダイアナ・ハリス夫妻が、そのデモを『ケラング!』誌に送ったところ非常に高く評価され、夫妻が立ち上げたレーベル「206 Records」からそのデモをEPとしてリリースすることになった。このとき、ザ・モブというバンド名が権利の関係で使用できないことがわかったため、バンドはクリス・デガーモのペンによるEPのオープニング曲「Queen Of The Reich」にちなみ、バンド名をクイーンズライクとした。

1983年にリリースされたEPは、アメリカのバンドでありながらアイアン・メイデンなどイギリスやヨーロッパのバンドに通じるものを感じさせるその音楽性が評判となり、イギリスやヨーロッパをはじめ世界的に賞賛を持って迎えられ、そしてその後バンドは「EMI」との契約をつかんだ。またこうした成功の中ジェフ・テイトはクイーンズライクに正式に加入することを決心し、ここでついにその後長く続くラインナップが完成されることとなった[2][3][4]

 

同年、EPは「EMI」から再リリースされ、ビルボード最高81位を記録した。

 

EPリリース後のツアー終了後、クイーンズライクはロンドンで最初のフル・アルバムのレコーディングに入った。プロデューサーピンク・フロイドジューダス・プリーストとの仕事で知られるジェームス・ガスリー (James Guthrie)をむかえ、1984年、1作目のオリジナル・アルバムとなる『ザ・ウォーニング (警告)』をリリース。EPよりさらにプログレッシブ要素を強めたそのアルバムでは、シングルカット前に「Take Hold of the Flame」がアメリカ以外の地域、特に日本でヒットを記録した。

1986年にリリースされた2作目のオリジナル・アルバム『炎の伝説(Rage for Order)』では、さらにさまざまな音楽的要素を内包した複雑で洗練されたプログレッシブ・サウンドを確立。いずれも商業的にも中程度の成功を収めた。

 

1988年、3作目のオリジナル・アルバムとなる『オペレーション:マインドクライム』をリリース。レーガン政権末期、経済政策の影響による深刻な貧富格差の拡大、麻薬犯罪の増加やイラン・コントラ事件などによる政府への不信・不満が広がる当時のアメリカ社会を背景として、社会への幻滅と洗脳によってアンダーグラウンドの反権力組織で腐敗した指導者の暗殺者となった麻薬中毒者ニッキーを主人公に、パメラ・ムーア (Pamela moore)演じるシスター・メアリーへの愛を絡めながら展開するストーリーを、完成度の高い楽曲と効果的に配されたSEオーケストレーションで描いたこのロック・オペラ的なコンセプト・アルバムは大ヒットを記録、ゴールドを獲得するなどクイーンズライクにとって最初の商業的成功となった。

シングルもヒットし、「Eyes Of A Stranger」はビルボード35位を記録。

「I Don't Believe In Love」は1990年グラミー賞ベスト・メタル・パフォーマンスにノミネートされた[5][6][7]

 

1990年、4作目のオリジナル・アルバムとなる『エンパイア』をリリース。これまで同様、銃規制など社会的意識の高い作品ながら、よりシンプルで洗練されたサウンドとなり、アルバムは全米で300万枚を売り上げビルボード最高7位を記録、シングル「Silent Lucidity」はバンド初のシングルTOP10ヒットとなるなど、さらなる大きな商業的成功を収めた。

またそれにより過去のアルバムも再び注目され、『ザ・ウォーニング (警告)』『炎の伝説』はゴールドを、『オペレーション:マインドクライム』はプラチナムを獲得した。

 

「Eyes Of A Stranger / Queensryche」