The B-52's - Dance this mess around (live 1983)

 

 

この あっけらかんとしたサウンドがなんとも心地いい音譜

 

ジョン・レノンがずっと愛していたB-52'sビックリマーク

 

一度聴いたら耳から離れられない特徴的なサウンドアップ


 

 

The B-52's(ビー・フィフティートゥーズ)は1976年ジョージア州アセンズで結成されたアメリカ合衆国ニュー・ウェイヴバンド

 

バンド名はケイトとシンディの特徴的な盛り上がった髪型(いわゆるビーハイブヘア)の俗称(ボーイング社の爆撃機、B-52のノーズコーン部分に似ているため)から名付けられている。

 

なお、バンド名として他に"Tina-Trons"、"Fellini's Children"といった名前も候補に上がっていたが、ある日、メンバーのキース・ストリックランドがホテルのラウンジでバンド演奏をしている夢を見た時に、その夢の中で誰かがそのバンドの名前を"The B-52's"だと囁いていたことから、彼はThe B-52'sというバンド名を提案したという。

 

1978年に地元のインディ・レーベルDBレコーズからデビュー・シングル「ロック・ロブスター」をリリース。ニューヨークのライヴ・ハウス「CBGB」に出演していたところを、アイランド・レコードのオーナー、クリス・ブラックウェルに認められ、翌年同レーベルと契約。

1979年にブラックウェルのプロデュースの下、デビュー・アルバム『The B-52's』を発表。50'sスタイルの派手な衣装に、奇妙奇天烈でひねりのあるサウンドが特徴。当時勃興していたパンクニュー・ウェイヴの新進アーティストとして注目を浴びる。この年の11月に初の日本公演を行う。

 

本国アメリカでは個性的なスタイルはなかなか理解されず、比較的イギリスでの人気が高かった。1980年レット・デイヴィスのプロデュースで2ndアルバム『Wild Planet』、1981年にミニ・アルバム『Party Mix!』、1982年トーキング・ヘッズデヴィッド・バーンのプロデュースでミニ・アルバム『Mesopotamia』、1983年スティーヴン・スタンレイのプロデュースで3rdアルバム『Whammy!』を発表する。

 

1985年、新作のレコーディング中にリッキー・ウィルソンエイズのため急逝。1986年トニー・マンスフィールドのプロデュースで4thアルバム『Bouncing Off the Satellites』を完成させるが、リッキーの死による影響で約2年間、活動を休止する。

 

1988年、音楽活動を再開し、翌1989年にリプリーズ・レコードへ移籍。同年ナイル・ロジャースドン・ウォズのプロデュースによる5thアルバム『Cosmic Thing』を発表。シングル・カットされた「ラヴ・シャック」「ローム」が大ヒット。「デッドビート・クラブ」もヒットした。以降はアメリカでも人気が定着。1991年にはケイト・ピアソンが同じアセンズ出身のバンドであるR.E.M.のアルバム『アウト・オブ・タイム』に参加、こちらも大ヒットを記録する。

 

その後、シンディが脱退したものの、1992年に前作と同じくナイル・ロジャースとドン・ウォズのプロデュースにより、6thアルバム『Good Stuff』を発表。

1994年には映画『フリントストーン』のテーマ曲を手がけた。映画本編にもネオ原始人のふん装で登場し、The B-52'sならぬ、The BC-52'sとして大ヒットを記録。

 

1998年にはシンディが復帰し、ベスト盤『Time Capsule: Songs for a Future Generation 』のために2曲の新曲をレコーディング、また全米ツアーも大成功のうちに終わらせている。

1999年には、ケイト・ピアソンが、プラスチックス佐久間正英JUDY AND MARYYUKIジャパンック・カーンらとユニットNiNa」を結成し、アルバム『NiNa』を発表する。

 

 

2008年スティーヴ・オズボーンのプロデュースで16年ぶりに7thアルバム『Funplex』を発表する。

 

「Dance This Mess Around / The B-52's」