カーレーサー 小河 諒さんをお招きして
2015Rd.2 N class 小河 諒 Ryo Ogawa
《S耐TV》 2021年5月22日(土) スーパー耐久シリーズ2021 Powered by Hankook 第3戦 NAPAC 富士SUPER TEC 24時間レース 決勝 #02
息子さんの小河諒さん、御本人からtwitterに「いいね」を頂き、本当に感激しております。
先日の24時間耐久もJ sportsで見ておりました。
私は小河等さんのことがすごく好きで、1989年からF3000を見ていました。
1992年の小河等さんが優勝したモンツァにも、2006年 当時 ドイツのセンサー・メーカーに勤務しており、
ボスのイタリア人に連れて行って貰いました。
小河諒さん、ルマン24時間レースでお父様が成し遂げられなかった優勝を拝見することを期待しております
小河 諒(おがわ りょう、1991年4月22日 - )は、神奈川県出身のレーシングドライバー。血液型はO型。
トヨタのワークスドライバーであった小河等の長男として生まれる。しかし一歳の時、父は鈴鹿で事故死。それ以来母・雅子は厳しく諒をしつけて育てた。館信秀、関谷正徳、福山英朗といった父と親交のあったドライバーたちは諒をかわいがり、時々サーキットに連れて行った[1]。
父のことがありレースをしたくてもなかなか言い出せなかったが、2005年ついに決心して母にレースをしたいと告げ、13歳でカートを始める。
2010年にフォーミュラ・チャレンジ・ジャパンで4輪レースデビュー。
2012年にル・ボーセモータースポーツからスーパーFJに参戦[2]。
2013年、2014年とポルシェ・カレラカップでチャンピオンを連覇[3]。
2015年、父の親友であった舘信秀の後押しで全日本F3選手権のNクラスにトムスから参戦、4戦を残して見事王者を獲得[4]。
2016年にはスーパー耐久のST-4クラスにエンドレスからトヨタ・86で参戦、最終戦を待たず王者となった[5]。2017年も同様にエンドレス86で参戦し、ランキング2位につけた。
- 父の親友であった関谷正徳について小河は「父親の代わりみたいに本気で怒ってくれた」と語っている。
- 雅子は等の死以来ずっと泣いて日々を送っていたが、2歳の諒に「ママずっと泣いてるのは僕が悪い子だから?」と言われ、それ以来泣くのをやめたという。諒は母を「普通の家庭のお母さんの何百倍も頑張ってた」と回顧している[6]。