Europe - The Final Countdown (Official Video)

 

 

やはり、キー・マルセロではなく、オリジナル・メンバーのジョン・ノーラムだアップアップ

 

Europe - Seven doors hotel

 

 

1987年夏の日本テレビ24時間テレビのライブ、

立川市 昭和記念公園にてEUROPEを見ましたが、

その時も残念ながら既にジョン・ノーラム脱退後で、guitarはキー・マルセロでしたビックリマーク

 

1986年でも既に高音のキーは出ないジョーイ・テンペスト!!

 

EUROPEがLiveで映えなかったのは、このジョーイ・テンペストの声域に他ならない!!

 

やはり、Vocalがレコード(CD)と同様にLiveで高音域を完全再現することは非常に大事だビックリマーク

 

この時期によくTV番組に出演していた時も、決まって口パクでCDを流していただけでガッカリした記憶が爆弾

 

下記の映像も、その典型だメラメラ

 

Europe - Rock The Night (1986) [HD 1080p]

何が言いたいかというと、

「EUROPEは、ジョン・ノーラムのバンドだ」

ということビックリマーク

 

ジョン・ノーラムが居てこそ、EUROPEだアップ

 

まあ、ジョーイ・テンペストの名誉の為にも、

高音域の声域も しっかり出ている曲も ちゃんとUPしておきますねべーっだ!

 

Europe - Heart Of Stone (Live in Solna, 1986)

 

 

 

ジョン・ノーラムJohn Norum1964年2月23日 - )は、スウェーデン出身のロックミュージシャンシンガーソングライターギタリスト。身長185cm。

 

同国のハードロックバンドヨーロッパ」のメンバーとして知られる。そのほか、米国のHR/HMバンド「ドッケン」への参加や、ソロ・アーティストとしても活動している。

 

1964年ノルウェーヴァードーに生まれる。1歳でスウェーデンに移住し、初めてギターを手にしたのは10歳のとき[1]。ギター好きな母親の影響でギターの練習には絶好の環境にあったため、彼はめきめきと腕を上達させていった。ジョンは14歳の頃にはパンク・ロックを演奏していたこともあったが、

その後、シン・リジィおよびゲイリー・ムーアに傾倒する[1]。ジョンは後に、ソロ・アルバムでシン・リジィのカヴァーを何度も取り上げている。

 

1979年ジョーイ・テンペストとともにフォースを結成して、その後バンド名をヨーロッパに改める。ヨーロッパとしてデビューした後、アルバム『幻想交響詩』『明日への翼』『ザ・ファイナル・カウントダウン』に参加。『ザ・ファイナル・カウントダウン』はMTVを中心にヒットして注目される。しかし1986年の10月にジョンはヨーロッパを脱退してしまう。理由は、バンドのイメージや音がキュートになっていったことや、TVショウへの出演に抵抗感を抱いたことにあった[1]

後任ギタリストはキー・マルセロ

 

1987年に初のソロ・アルバム『トータル・コントロール』をリリース。このアルバムでは一部の曲でボーカルも担当している。

1988年、グレン・ヒューズとのプロジェクト「ヒューズ/ノーラム」の結成が計画されるが、この時はヒューズの薬物依存症が問題となって、テレビ出演1回だけで終わってしまう[1]

 

1989年にはドン・ドッケンのバンドに参加して、アルバム『アップ・フロム・ジ・アッシェズ』を1990年に発表する。このアルバムはビリー・ホワイトとのツイン・ギター編成であった。また、同時期にソロ名義のライブ・ミニ・アルバム『ライヴ・イン・ストックホルム』もリリース。

 

1992年には、グレン・ヒューズとともに制作した『フェイス・ザ・トゥルース』を発表。収録曲「ウィ・ウィル・ビー・ストロング」では当時不仲説が流れていたジョーイ・テンペストもゲスト参加している(この曲はヨーロッパ盤・日本盤のみに収録されている)。また、1995年にはジョーイの初のソロ・アルバム『プレイス・トゥ・コール・ホーム』収録曲「ライト・トゥ・リスペクト」にゲスト参加[1]

 

1997年、リーフ・スンディン(元グレイト・キング・ラット〜MSG)をリード・ボーカリストに起用した編成で日本公演を行い、この時のライブ音源はライブ・アルバム『フェイス・イット・ライヴ'97』として発売された[1]。同年末、ジョージ・リンチが脱退したドッケンのツアーにヘルプで参加。

 

1999年、ソロ名義としては5作目のスタジオ・アルバム『スリップド・イントゥ・トゥモロウ』を発表。同アルバムでは専任のリード・ボーカリストを起用せず、ジョン自身がリード・ボーカルも兼任した[2]

12月31日、ストックホルムの野外で一夜限りのヨーロッパ再結成ライブを行う。このステージはキー・マルセロとのツインギターで、ジョンはレスポールを使用。

 

その後、ジョンは、妻のミシェル・メルドラムが率いるメルドラムのアルバム『Loaded Mental Cannon』にギタリストとして参加[1]。また、ドッケンに加入し、2002年のアルバム『ロング・ウェイ・ホーム』およびそのツアーに参加。

 

2003年、ジョンはヨーロッパに復帰し、アルバム『スタート・フロム・ザ・ダーク』をレコーディング。

また、ヨーロッパの活動と並行してソロ活動も行い、彼の41歳の誕生日となる2005年2月23日には、6作目のソロ・アルバム『オプティマス』をリリース。さらに2010年にも、7作目のソロ・アルバム『プレイ・ヤード・ブルーズ』を発表している[3]

 

「The Final Countdown / Europe」