Straight for the Heart (2018 Remaster)
Whitesnake - Is This Love (Official Music Video)
Whitesnake - Straight For The Heart solo cover with tab
Whitesnake - Is This Love (Guitar Tutorial)
Whitesnakeのフル・アルバムにおけるジョン・サイクスの貢献度は非常に高い
W̲hites̲nake - W̲hites̲nake (Full Album) 1987
特に1987年のWhitesnakeのALBUMにおけるジョン・サイクスguitarの貢献度は絶大だ
その1987年に最も印象的な出来事があった。
当時、高校3年でビートルズを聴いているようなポップスにしか興味が無い高校の同級生から質問が来た。
プロ野球好プレー珍プレーで流れていた曲(Straight For The Heart)
この曲は何という曲?
と聞いてきた
これは衝撃的でした
これはポップスを聴いていた方にも、
ジョン・サイクスのguitarは耳に残った。
ということを意味します。
すぐに、この曲だ。
と彼に教え、FULLL ALBUMを通して聴くことをオススメして、
その後は、どんどんハードロック、ヘビーメタルのFULL ALBUMを貸してあげました。
どんどん彼はハードロック、ヘビーメタルにハマっていき、
BURRN!を毎月買うようになりました。
もちろん、ロック、ポップスも継続して一緒に聴く機会もありでしたが、
2人共、現役で大学合格出来ず(笑)
ロックばかり聴いていたからかな(笑)
一浪で2人揃って見事に大学合格し、
大学在籍時には、一緒にローリングストーンズ初来日の電話予約をして、
なんと4回も東京ドームでローリングストーンズの初来日公演を一緒に見ています。
音楽で繋がった仲間は、本当に関係が深くなりますね
ジョン・サイクス(John James Sykes、1959年7月29日 - )は、イングランド出身のギタリスト、HR/HM系ミュージシャン、シンガーソングライター。米国在住。
ロックバンド「シン・リジィ」「ホワイトスネイク」といったビッグネームに抜擢されて実績を積み、主宰した「ブルー・マーダー」などで勇名を馳せた。
父の仕事の関係でスペイン・イビサ島に滞在していたとき、退屈しのぎにギターを始めたという。彼の叔父のプレイを間近で見る事が出来たが、それまでにも遊び半分でギターに触った事があり、ギターが弾けると思い込んでいた彼は叔父のプレイを見てギターに真剣に取り組む事となる。その後友人から「凄いギタリストがテレビに出るから見たほうがいい」と勧められ、
テレビでゲイリー・ムーアの演奏を見て相当な衝撃を受ける。
トリオ編成のバンド「ストリート・ファイター」を率いて「サクソン」のサポート・アクトとしてツアー中、同行した「タイガース・オブ・パンタン」のメンバーにスカウトされ、1980年に同グループに加入しプロデビュー[1]。当時のNWOBHMブームの中で人気バンドとなる。パンタンでアルバム『スペルバウンド』(Spellbound)、『クレイジー・ナイト』(Crazy Nights) 、および『ザ・ケイジ』(The Cage)の一部に参加した後、オジー・オズボーン・バンドのオーディションを受けるために脱退。オジーのバンドへの加入は叶わなかったがその後「シン・リジィ」に参加し、アルバム『サンダー・アンド・ライトニング』(1983年)と、ライブ盤 『ラスト・ライヴ』(1983年)でリードギタリストを務めた。
「シン・リジィ」の解散後、デイヴィッド・カヴァデールにスカウトされて「ホワイトスネイク」に参加。当時のメンバーはサイクスとカヴァデールの他、コージー・パウエル(ドラムス)とニール・マーレイ(ベース)であった。しかしアルバム制作が始まるとカヴァデールとの衝突からメンバーが次々と脱退。ジョンはアルバムを完成させるものの、発表前に解雇された[2]。
このアルバムが後に全米2位、800万枚の大ヒットとなる『サーペンス・アルバス〈白蛇の紋章〉』である。
サイクスは「ホワイトスネイク」離脱後、カーマイン・アピス、トニー・フランクリンを誘い自らのバンド「ブルー・マーダー」を結成。後にメンバーを改めながら活動を断続的に継続。その後バンド名をシンプルに「サイクス」と変更してしばらく活動していた。ギター、ボーカル、ソングライティングを一人でこなしていたこの時期のインタビューで、最も尊敬するギタリストについて(同様のスタイルであった)「ビー・バップ・デラックス時代のビル・ネルソン」と答えている。
「Straight For The Heart / Whitesnake」