皆さん

おはようございます!


55歳で脱サラ。現在、モデル、俳優、タレント、作家などマルチジャンルでのデビューを目指す山内誠治です。


僕は今年の三月に脱サラをしました。


脱サラするまでに二つの会社で営業の仕事を経験しました。


今日は、新卒で入社した旧住友銀行(現三井住友銀行)のお話しをします。



僕が住友銀行に入社したのは、平成3年。


日本がバブル経済のピークを迎えた直後でした。


今はどうなっているのかよく知りませんが、平成初期のころは、リクルーター制度というシステムで新入社員を募集していましてね。ご存知でしょうか?


リクルーター制度という新入社員の募集方法は、リクルーターが大学の部活やゼミの後輩に声をかけて面談をし、見込みのありそうな学生だけを人事部に繋ぎ、入社の可否を判断するというシステムです。


一部の若手社員は、就活シーズンになると仕事はせず、就活サポートをおこなうんですが、この人達をリクルーターと呼んでいました。


今のように、SNSどころか、インターネットが無い!携帯電話もなかった時代、、、リクルーターは四年生の家に公衆電話などから片っ端に電話をしていたんですよ〜。まさに、人海戦術😮‍💨



私が大学四年になって、就職活動を開始した時には、大手の総合商社に入って海外で活躍するという漠然とした目標がありました。なんかカッコ良いなって😄


銀行に行きたいとは1ミリも思っていませんでした。😅


では、なぜ総合商社に行かずに銀行へ行ったのか?


それは、、、



総合商社に就職したくても


できなかったから😭


なぜなら



学歴が無かったからです😭



そもそも、私が在籍していた法政大学から大手総合商社で働く先輩は極めて少なく(ほぼゼロ)そもそもリクルーターがおらんのですよ😅


つまり法政大学から総合商社への門戸は、当時は開かれていなかったんです。🥺


私は大学時代ヨット部におり、他大学のヨット人脈があったのですが、

早慶上智、国立大学などの同期は、就活シーズンが始まって総合商社の面談をどんどんやっているんです。


でも、法政だと、、面談すらしてもらえない。。。(今は知らんけど)


その時ほど、学歴による壁、学歴社会という日本の仕組み受けた思いがしましたね。


そう、僕は銀行就職は望んでいなかったんですよ、、、


次回に続きます。


おじさまタレント 山内誠治