ちなみに私の大学時代の尊敬すべき年下の友人は"ウワミ"さんです。


(新旧含め)NN組は福井のお花屋さんの名前とあわせて私の口から何度も名前をきいているはずで読み方を知らないはずはないのですが、最近ゆっちゃんとおまみさんに「えー!そう読むんですか!」と驚かれたので一応。


悪口を言わないようにしている反動か、好きな人や尊敬する人の話は普段からアチコチでしまくるので、たとえば今の1年生でも野津くん、莉奈ちゃん、じゅんちゃんなども含めて当たり前のように話題にするので名前のヨミなど普通に知っているものだと思っていたのに、そこで衝撃をうけられたことが逆に衝撃だったので書いてみました。


もっとも今はもう上見さんじゃなくなっていると思いますけどね。(ムコ養子をとったのでなければ)


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今日の音読ブログはサイバーエージェント藤田晋社長のブログ「渋谷ではたらく社長のアメブロ」から。


(ちなみにおまみさんも【憂鬱でなければ仕事じゃない】を持ってられた。近場で流行りすぎだろうw)



猜疑心(from 渋谷ではたらく社長のアメブロ) | SEIJIの音読ブログ

http://seiji-pandora.seesaa.net/article/257877666.html



いつもはMP3に変換中に記事に対するコメントを書くのですが、思い入れが強いネタのせいか長くなりすぎたのでこちらで書くことにしました。(火木土のこちらのブログ書く日だし。)


ということでまずは↑の記事を聞いていただくか、元ネタの藤田社長の記事をお読みくださってからコメントをお読みください。


渋谷ではたらく社長のアメブロ | 猜疑心

http://ameblo.jp/shibuya/entry-11185110108.html



以下コメントです。


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おおう。とても耳が痛い。


最近よくラジオやブログでも「いやー 去年はマジで人間不信だったからなー」みたいなことを言っていますが、地味にそれ以前から私は基本的に「疑心暗鬼」の人だったりします。


島根にきてからはじめてできた彼女などは「こんなキレイな女性が私のことを好きになってくれるはずがない」とずーっと「きっとフトンか何かを売りつけるつもりに違いない」と疑っていたし、


その次の彼女にも「こんな若く魅力的な子が俺なんかとマジメに付き合っているはずがない」と影で友達に私をバカにしたメールを送っているんじゃないかとおよくメールを盗み見ていました。(そしてよくバレて怒られていた。)


基本、いじめられっこだったせいか人が信用できないのですよね。


しかしそういう期間も半年が過ぎると「この子は本当に俺のことを好きでいてくれるんだ」と信じるようになり、それ以降は100%完璧に信じるようになります。私にとって「信頼できる」が何よりも大切な人間関係の要因のようです。


最近、大人になって冷静に自分自身を分析できるようになった気がするので、この点をもって自分を分析をしてみることがあったのですが、「泣きながら"信じられる他人"を探していたあの幼い頃の自分が心の中にまだ残っている」のだろうなぁという結論に至りました。


(ちなみに去年あんなに激怒したのも「泣きながら『信じていたのに よくも裏切ったな!』と腕ふりまわしまわりに当たり散らす子ども」に相当するのだろうなという分析だったり。大人になってはじめてわかった自分の心の底に眠る幼児性にちょっとひいていたりします。)



しかし一旦信用すると決めたら今度は徹底的に信じます。


それこそ「王様の耳はロバの耳」ではないですがこうなってからはもう秘密もなにもなくすべてをさらけだし、それはある意味「依存」と言われてもおかしくないぐらい心を開ききってしまうようです。


島根にでてから出会ったその2人の美しい女性はその後7年と3年という長きにわたって、私をいっさい裏切らないでいてくれました。普段の猜疑心でいっぱいの心が安まる時間を10年という長きにわたって与えてくれたその2人には今でも死ぬほどに感謝しています。



また小さい頃から両親にはよく「人は信用しちゃいかん」と言われながら詐欺師の手口なんかをリアルな実例を交えて吹き込まれたり



「事業がうまくいかない間は仲ようやってても、


 ちょっとでもカネが入るようになるとすぐに仲間うちで骨肉の争いになるんをようけ見てきた」



とかいって当時小さい子であった私を意味不明にびびらせてくれたおかげで大人になった今でも



「付き合っても何のメリットもない私と付き合ってくれるのはたぶん私の人柄を好いてくれているのだろう。


 でもいざカネを持つようになったら猜疑心の強い私のことだ、たぶん誰も信用できなくなってしまう。」



と【成功してしまう】ことに対して恐れを感じるようになりました。



そして今でもこう思っています。



【成功してしまう前】に信頼できる友人も、嫁さん候補も、ある程度見つけておかないと。




そういう意味で、私、結構態度悪いです。人に気を遣いません。


それは「ここまで素の自分を出しても、嫌われないのならば本物だろう」という人を探しているのから。




入って来たばかりのまりちゃんに


「いい人なんだから、もっと態度をかえれば好かれるのに。」


とやんわりとアドバイスされたのですが



「いや、いいんだ。俺はこれで。」


とその辺の理屈を説明したら、



「そんな理屈で人間関係をフィルタリングしている人はじめてみた…。


 そしてそれってすごく合理的な気がする。見習おう。」



とか言い出したので



「いや、言うのは簡単だが、相当な修羅の道だぞ? 相当なツラの皮の厚さが要求される。


 だいたい俺は20代の頃から、野心に溢れ、上に行く気は満々だ。


 そのためには鉄のハートも、信頼できる人間も、今のうちから備えておかなければならない。


 将来の夢は"かわいいお嫁さん"みたいな女の子は間違っても足を踏み入れてはならんとこだと思う。


 基本俺は多くの人に影でバカにされている嫌われ者の方が居心地がいいんだ。


 そんな俺のまわりにいるのは、君のように信用できる人間だけになるからからな。」



と言っておいたのですが、ちゃんと理解してもらえたのでしょうか。




ま、それはともかく、病的なまでに「猜疑心が強い」というのは幼い頃からですよ、というお話。


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ただ藤田社長の言っていることもわかるんですよね。いや違うかも知れないけど。



「疑ってかかるとコストが高くつく。」



たとえばパンドラボックスはできた時から鍵の管理は暗証番号制にして、すべて学生にまかせてきました。


つまり、うちの学生ならば誰でも好きな時に自由に出入りできるということです。



その話をしたらうちのオヤジも含めて諸先輩方から「お前はバカか」の大合唱。



「どんなに信用していても不心得者はでる」



いや、それはもー 学生9年もやってた私はよく理解しています。


ウン十万単位の現金紛失なんて、きいたの1回じゃないですもん。




ただじゃぁ逆に例えば「鍵は一部の信頼できる人間にだけ渡す」となったとしたら、その人間の誰かがいないと活動したくてもできない、その人が来るまで待たなければならない。その人もわざわざ出てこなければならない。



…少なくても私はイヤだ。



自分がイヤなものは人にさせたくはない。ということで先の制度にしました。

(今は人数減ったのでさらに合理的な制度にかえましたけど。)



現金はおいておかなければいい、見られてまずいようなモノを作る人格や経営にしなければいい、モノをとられるリスクは仕方ない。


「常にオープンな姿勢」というのは上を目指すならばぜったいに身につけなければならない覚悟だと思ったので最初からその路線でした。


また何より、


「尊敬と思慕の対象として野津くんが組織をまとめる一方で、私が権力と恐怖の象徴として組織を統治する」


つまり


「あの人の逆鱗にふれると何をするかわからない」


という雰囲気をあえて作って警察力を維持して、不心得者の発生を抑止する。



また猜疑心の強い私は怪しげな人間とぜったいにあわないので、私が幅をきかせている間は自浄作用が働いて、そういう人間は組織の中に長く存在できない。



そういう戦略とヨミがあったので藤田社長とは違った意味でウチは「性善説」を採用していました。



ちなみに震災の時とか「想定外とかありえない!」という論調が多かったけれど、私が当局関係者ならば


「あんな化け物みたいな津波なんか誰が予想できるか!できたとしてもそれに対策したらいくら

 かかると思ってるんだ! 文句ならば俺に必要なカネと人員を渡してから言え!」


って逆ギレしてたと思う。もちろん言ったら大問題になるから言わないけど。まぁそれぐらいに"潜在リスク"に対処するにはコストがかかるんです。




そういう意味で「猜疑心の強い自分」すらシステムに組みこむ私って結構よく考えてると思うんですけどねー。


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「猜疑心」が強くてもいいんじゃないかなーと思わなくもない。


大切なのは「疑わない」ことじゃなくて「信じる」ことだと思うので。


例えていうならば


「俺の彼女が浮気なんてするはずがない。」


と根拠なく思い込む男よりも


「もしかしたら、浮気しているかもしれない。でも証拠もなしに断じることはよくない。信じよう。」


という男の方がかっこいい気がするから。

(ま、私の場合"でも証拠がでてきた場合はタダではおかんがな…"というのが後に入るのですが。)




総理大臣が組閣する時に、大臣に選ぶ政治家を"身体検査"というのをするらしいです。


お金のことなどで問題をかかえてないかあらかじめチェックして、入閣してもらう。


それなしには国務大臣などという大役をまかせられないし、何かあったときは任命責任を問われますから。




「信じるために、疑ってかかる。」



という健全な猜疑心も大切だと思うんですけどねー。


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おまみさんとこの前会った時にこんなこと言ってられました。



「最初はあの本、藤田社長の名前につられて買ったんですけど、

読んでいくうちに見城社長のファンになっちゃって!」


「そうなんですよ。どっちかというと見城社長の方がエキセントリックなこと言っててしかも心におちますよね!」


「もう、あれから本を買うときは"この本、幻冬舎? じゃぁ買おう"みたいになっちゃってますから~」


「わかります! でも藤田社長もすごいですよね。


 ビジネスにおける名刺の扱いの項とか覚えてられます?


 藤田社長、すぐ前に書いてある見城社長と真逆のことを書いてられてびっくりしました。


 相当な年上で、尊敬する人の言うことでも、なんでも同意するんじゃなく、はっきり自分は違う考えだという。


 かっこいいな~って思いました。」




ということで私も藤田社長とはちょっと違った考えをもってますよということを表明してみるテスト。



それではまた土曜日に。