全3回の予定が… でもたぶんこれが最後のはず…。あとがきがつくかも…。

俺はエピソードトークでプロットを書くべきではないな…。

話が長くなりすぎる…。

---------------------------------------------

先日いつかちゃんとご飯食べに行った時に、まだ書き始めてはなかったもののアタマの中には「こういう内容を書く」という意思があったので、ついついこの話になってしまって、ひとしきり自分の思っていることをいつかちゃんに聞かせてしまった時にこんなことを言われました。

「まぁ、人間、失敗から学ぶこともありますからねー。」


「ははは。一回り以上、年下の君が俺に人間を説くか(笑) 確かにその通りだな。

 でも、俺は今回に関しては失敗した、とは思ってないぜ。

 確かに失ったモノは大きいかもしれん。でもそれらはほうっておいても数年でなくなるものだ。

 でも俺があいつらにもらったものは果てしなくデカい。たぶん生涯使える財産だ。

 マイナスよりプラスの方が圧倒的にデカい場合、それを俺は"成功"と呼ぶけどな。」



---------------------------------------------

「墓守ってツライですね。」


先週、収録おわりにおくちゃんがいつか私が自分の生活をあらわしてそう言った言葉を引用して話をきりだしてきた。


「みんな松江を去っていくのに、私達はただ見送るだけなんですから。」


「そうだな。俺は99年に島根に来たわけだから10年以上もうそんなことをしてきた。

 その気持ちはとてもわかるよ。

 好きな人達とはずーっと一緒にいたい。でもそうはいかない。

 俺達にできるのは、大好きだった人達との想い出を、大切にしながら生きていくだけ。

 そう、お墓を守りながら大切な人達の菩提を弔っている、墓守のようにね。」



私がたぶん人にとって時に冷たいと思われるのはその強烈なニヒリズムが徹底しているから。


この人が今いなくなるか、数年後にいなくなるか、私にそんなに大した違いはない。

しかし、もし俺と気が合わないならば早めに俺達は離れた方がいい。

そう、君達の"人生"は短いのだから。大切な人生を俺のために無駄にすることはない。


キレイ事のようですが、学生とお別れする時はいつもそんなことを思っています。

しかしもし私と合う学生だったら

「10年経っても楽しかった!と思える思い出を一緒に作ろう!」

と心の底から大切にします。

それが通じて最後までいてくれたような学生には「楽しい思い出をありがとう!」という想いを込めて年賀状だけは必ず出すようにしています。返事のあるなしに関わらず。

(でもトネさんの住所だけ失念して今年、書けなかった(>_<))


ま、そういう人生も悪くないかな~って。

---------------------------------------------

「私はなぜ、あんなにも怒ったのだろう?」


落ち着くにしたがってこのことについてよく考えるようになりました。

ちゅうそんやタクくんに言われるまでもなく明らかに常軌を逸していた。

この感情の薄い男のどこから、あの水道管が破裂したような、
もしくは勢いよく吹き出る間欠泉のような、あの感情は沸いてきていたのだろうか。



記憶をさかのぼると、過去に2回だけ、我を見失うほどに激怒したことがありました。



1回目は研究室で同じだった上見さんに「先生の私に対する扱いが、ちょっとヒドい…」という相談をうけた時。

話を聞いた瞬間に激昂した私は、ゼミのたびに上見さんの扱いも含めてひたすらに先生の非を主張し続けながら「私は何か間違ったことを言っているでしょうか!」と怒りと憤りをぶつけていたら、気を回した院生の先輩からその話が学科長を通じて教授会での話題にのぼるようになってしまい「いや、本人に思い知らせることが目的であって、社会的身分に害を及ぼすつもりはない」と、その時はそこで矛を収めたのでした。


2回目は4年前の放送部分裂に際して、まだその頃付き合ったばかりの私の前の彼女が、当時4年生だったななえさんから「そんなにみんなを辞めさせたいの!」と電話でせめたてられ、私に泣きながら「私はみんなのためを思ってやっていたのですが、、、全部、私のせいですか、、、」と電話がかかってきた時です。あの時は全身の血が逆流し、顔から血の気がひいて冷たくなったのを覚えています。


怒り狂った私からの執拗な仕返しに、ななえさんは「あやまりたい」「説明したい」と何度もいってきましたが、醜悪なまでに言い訳に終始するななえさんに「そのなめた態度のどこが謝罪なんでしょうか!」と怒りをぶつけつづけていたら、やがてちゅうそんとゾエくんから同時に「SEIJIさんのお怒りはごもっともですが、今本当にななえさんは精神的に参っていて、公務員試験の勉強も手に着かず今後の人生に影響が出そうになっています。僕たちからもちゃんと言ってきかせますのでどうかお怒りを納めてください」と言われ、二人の顔をたてるためにそこでようやく仕返しをやめたこともありました。





「あーーーーー いつも一緒だな。俺は。

 "自分が大切にしている人"がバカにされたり傷つけられた時は、

 本当に何も見えなくなるんだ。」






しばらくは、短気な自分を恥じ、どうしたら再発防止できるかとか考えていたのですが、

でも大切な人をバカにされた瞬間にもう別人格に切り替わってしまうので今の私にはどうしようもない。

仕方ないのでまわりに「私の大切な人をバカにするな」と言ってまわるぐらいしかできなかったんです。



---------------------------------------------


「伊藤さんは、でも、お幸せだと思います。」


時は前後しますが、先週、三島さんにおそろしいまでに高級なお寿司をご馳走になった時のお話。


「普通はそこまで大切にできる人に人生で出会えたと人も1人です。

 でも伊藤さんには4人もいらっしゃるのでしょう。羨ましいことです。」



この言葉こそ、私が半年でたどりついた境地だったので、嬉しくて死にそうになってました。


---------------------------------------------

なぜ私はあんなにも怒ったのだろうか。


それまでにあんなに激怒したことはまずなかったし、他の人でもみたことはない。



「人が何に対して怒るかよくみておけ。それがその人の最も大切にしているものだから。」



確か名言botか何かで見た言葉だったと思いますが、頭上の雲が晴れたような気がしました。



それまでもよくいろんな人にこういうようなことを言っていました。


「私の髪の毛一本に至るまで、あの素晴らしい4人の女性達のおかげで存在している。

 もし彼女達の1人でもいなければ、今のイトウセイジは微塵も存在しなかっただろう。」



この言葉はキレイ事ではなく、本当に私は心から大切にしていた。


だから私は怒ったんだ・・・。


そう思えて、少しは心が楽になりました。


---------------------------------------------


「昔、私の友達が私のことに関して泣きながら怒ってくれたことがあったんです。

 アレは本当に嬉しかったし、たぶんSEIJIさんもあの時の友達と同じ気持ちだったんでしょう。

 よくわかりますし、SEIJIさんのモトカノさんも私と同じようにたぶん喜んでくれると思います。」



いつかちゃんに言われたこのセリフも、ちょっと涙がでそうになった。



私の前の彼女は優しい子だから、

人を傷つけてまで怒ることをけっしてよしとは思わないだろうけど、

その純粋な気持ちだけは喜んでくれたらなぁ、と思ってる。


---------------------------------------------


「でもね、三島さん。私あの時、過去最悪に怒ったんですよ。
 

 だって、ななえさんの時はゾエくんやちゅうそんの声は届いたのですが

 あの時は、三島さんも、角さんも、さわこですらまったく眼中に入らなかった。

 本当に怒りと悲しみしか心になくて、今後どうなるとかそういうのまったくアタマになかった。




 ほんとーーーーーーーーーーーに、性格が歪むかと思いました。








 でもそれって、今、考えると


 "あの2人だから"


 あんなに怒った気がするんですよね。」






---------------------------------------------


「私には命に代えても大切にしている女性が4人いる。

 その人達のためならば、私がもてるものすべて、躊躇なく投げだそう。」




私は自分にはぜったいウソをつかないし、自分の言葉に何より責任をもつ。

そしてそれが言葉だけじゃないのは今までみせた本気の怒りで証明できた気がする。



でも、実は他にもいるんです。


「できる限り大切にする。」って私がはっきりと本人にそう言った女性が。

あともう1人、諸事情で口にはできなかったけれど、そう思ってた人が。





たぶん、あの時の私が過去最悪に怒った理由って

「今までとっても大切にしている人」を「とても大切にしようとしている人」がバカにしたから。

それに尽きる気がします。



だから他の時と違って、怒りと同時に、ただ悲しかった。


・・・わかってもらえなかった・・・って。


「好き」は感情であって、いつか変わるかもしれないし、その量は量れない。

でも「大切にする」はずっと続く覚悟と意思だから私にとって遙かに重い言葉。だから滅多に言わない言葉。


本気で言ったのだけどな。

本気で想っていたのだけどな。



あの怒りと悲しみの裏にはそんな感情があったような気がします。


---------------------------------------------

素晴らしい毎日をありがとう」


私が心の底からそう思った時の、お礼が私の「大切にする」だったりします。


私の目の前の人間は、多くが本当に一瞬で通り過ぎる。


そんな一瞬一瞬に黄金の価値を与えてくれた人。それが私が大切にしている人。


そのもらった価値を返し終えない限り、私はたぶんずーっと写真を飾り続け、名前を口に出し続け、感謝し続けるのでしょう。

例え相手が違う誰かを愛していたり、私のことを憎んでいたり、私を忘れていたとしても、私のその想いは変わらない。


だって「お礼」だから。


もらった分はちゃんと返す。


たぶん一生返せないけど。


---------------------------------------------


「私の20代は幸せだった。」


「今死んだとしても悔いはない。私の人生はすでに完成している。」




最近よくこんなことを言います。


あの時「怒った理由」を考えていたらそれは「大切なモノ」を侮辱されたからだと気づいた。

では「大切なモノ」とはなんだろうと思った時、それは人ではなく「過ぎ去った時間」だと気づいた。


では、私はこの10年、どれだけのものをもらってきた?

あの4人だけじゃなく、柴田先生や西川先生、じゅんちゃんや莉奈ちゃん、野津くん、1年生のさわこやちょこし達に。



私はとんでもなく今まで幸せだったんじゃないだろうか。

そして、この先私にどんな不幸が訪れようとトータルでマイナスにすることは不可能だろう。だってとんでもないプラスだから。

これから先、たとえ目が見えなくなろうが、寝たきりになろうが、思い起こせばあの素晴らしい時間が蘇ってくる。


その幸せに比べれば、これから先待ち受けている、どんな困難だって私は怖くはない。





私が「写真」や「手紙」や「思い出」を死ぬほど大切にする理由がよくわかりました。

彼女に疎まれようが、友達にヘンな顔をされようが、私の幸せは「過ぎ去った時間」なのだと。


---------------------------------------------

「私、土方歳三みたいに35歳で箱館で戦って死ぬのが夢なんです。」


最後に三島さんに言いました。


「土方歳三って"尊敬する歴史上の人物"で必ず上位に出てきますけど、

 考えてみれば彼が"伝説"になったのって『新選組の副長』としてじゃないんですよね。

 だってその理屈ならば局長の近藤勇は土方より上にこないといけない。


 彼の生き方が多くの男から支持をうけてるのって

 "戊辰戦争を、最初から戦い、最後で死んだ"

 ただそれだけなんですよね。


 慶応四年の1月3日、京都の鳥羽・伏見の戦いにはじまり、

 翌・明治二年の5月11日、箱館の五稜郭の戦いで戦死した。

 そのたった1年半の戦いぶりが、あまりに鮮烈だったから伝説になっているんです。」



「最後の1年半の土方歳三がどんな気持ちだったんだろうってのもよく考えるんです。

 毎日"今日限りの命かもしれない"って覚悟しながら生きる日々。

 でも、だからこそ彼はよく戦い、目の前の部下にもめいっぱい優しくしたんじゃないかって。」




「"いつ死んでもいい"と考えながら生きることこそが、美しく生きること。

 親友・近藤勇や沖田総司の死にも目もくれず、誰に批判されようが

 ただただ自分の信じるままに生きること。

 それが私が心から土方歳三に憧れてた理由よなぁって。」



「彼は死ぬ直前にどう思っただろうか?たぶん幸せだっただろうと思う。

 近藤や沖田と素晴らしい思い出が思い起こされて。

 迷いがないから、日々鬼神のように戦い、兵達からは母のように慕われた。



 私もそう生きよう、今年、そう誓いました。




 土方でいう近藤や沖田との、素晴らしい黄金の思い出は私も十分に持っている。


 だから、これからは目の前にあることに全部、精一杯生きよう。




 だから、時間はまったく無駄にしなくなりました。だって35歳で死ぬんだから。

 将来の不安なく、必要とあれば躊躇なくお金を使うようになりました。だって35歳で死ぬんだから。

 今「大切だ」と思うことは全部やってしまおう。だって35歳で死ぬのだから。



 そんなことよりも、私は今32歳だからあと1年か2年のうちに戊辰戦争がはじまるはず。

 その時にちゃんと戦えるよう、カラダ、精神、能力、生活リズム、お金、必要なものを整えておこう。

 戦う時に戦えない。死ぬべき時に死ねない。これほど悔しいことはないから。





だからマジで、あの2人には感謝してるんですよ。



たぶんあの二人がいなければ今頃も誰かに「君がいるから俺はがんばれる」とかよくわからないことを言っていた気がします。それでは20代の私となんらかわりありません。


「私はいつ死んでもかまわない。すでに必要なものは十分にもっている」


それに気づかさせてくれたのは紛れもない、あの二人です。



それからというもの、毎日充実感がまったく違います。

同じ人生とは思えないぐらい。






私は素晴らしい人生を生きている。


願うことならば、

近藤や沖田と違ってまだ生きているあの二人には、

もう2度と会えないであろう多くの私の大切な人達と同じように

「素晴らしい人生を生きて欲しい」そう願っています。




ま、ちょこしには実際会って伝えられたんですけどね。


「君が今後どのようになるのであれ、俺は心から君の幸せを願っている。」



---------------------------------------------

ちょこしには1回だけ会えた時に今回書いたことのほとんどのことは話したし、私がとても感謝していることも伝えた・・・と思う。(おかげで私が一方的に話すことになった)


だから今回、こういうのを書こうと思ったのは「さわこには伝えられんかったよなー」という後悔と、こういう形で書けば読んでくれるかな?と思ったから。


人というのは不思議なもので、自分の名前が書かれた文章からは目を背けられない性質がある。よしときゃいいのに芸能人が2ちゃんねる覗くのと同じ心理。


あの時は超、怒ってしまったし、結局その後時間が経ってしまったけれど、それまでの1年間・・・いや深く、親しくなったのは半年という短い期間であったけど、その間私は何度「君は素晴らしい」と言ったかわからないぐらい素晴らしい時間だった。


可能ならば別れのその瞬間ギリギリまでずーっと「君は素晴らしい」と言いながら暮らしたかったけれども、残念ながらそれは無理なようなので、私にとっての上見さん達と同じぐらいに大切に思っている君達に、少しでもこの気持ちが届けばいいかなーと思って書いていた。



君が、今、何を考え、何を思っているかは、俺には本当にさっぱりわからない。


でも、俺は、今でも、心から、こう思っている。


「素晴らしい人生を。 君の幸せを、俺はいつでも、心から願っている。」