火・木・土のはずがなかなかそうはならない…。
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「俺は織田信長の生まれ変わりかもしれない。」
というようなことを真剣に土方歳三は言っていたそうです。
天性の戦のうまさと、新しい技術に対応する革新性、そして部下に対する非情さ。
実際、両者に共通する部分は多く、土方ならばけっして誇大妄想には聞こえないよなと思います。
しかし、私はやっぱり土方の方が好きです。
それはたぶん、彼が「弱い人」であったから。
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織田信長は「サイコパス」だったのではないか、という説があります。
サイコパスとは、Wikipediaによると
>精神病質(せいしんびょうしつ、英:サイコパシー、Psychopathy)は、反社会的人格の一種を意味する心理学用語であり、主に異常心理学や生物学的精神医学などの分野で使わている。
>三省堂の大辞林によると「性格が逸脱し、そのために社会を困らせたり自らが悩むもの。性格異常」とある。
>連続強姦殺人犯、シリアルキラー(連続殺人者)や、重度のストーカー、常習的詐欺師・放火魔、カルトの指導者の多くがサイコパスに属すると考えられている。
となっています。
信長は確かに天才であり、また統治者・為政者としては温情深い面を多分にもっており、小泉純一郎元首相が信奉していたことからわかるように、今での多くの人に支持される英雄であることにはかわりありません。
また同じ三英傑の秀吉・家康も時に「皆殺し」を命ずるなど残酷な処分を下すこともないわけではないので、それだけをもって信長を異常であったと判断するわけにはいきません。
ただ、信長は「血」を好んだ。
無抵抗の老若男女に対して鉄砲の一斉掃射で皆殺しを命じた時も、自分に敵対した勢力の捕虜を数十人単位で釜ゆでにする時も、自ら好んでその場に立ち会ったというのですから、たぶん人が苦しんだり、血を流したり、断末魔をあげる姿をみるのが好きだったのではないか、というのがその説の根拠です。
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土方歳三の剣は敵よりも味方に多くが向けられました。
敵前逃亡は切腹。
背中に傷をうければ切腹。
敵に傷を与えた上で取り逃がしたら切腹。
脱走は切腹。
武士にあるまじきは切腹。
新選組の鉄の隊規の下、粛清された同士はなんと50人にものぼります。
新選組の最盛期ですら200人程度しかいない組織で、かつ活動期間はたった数年。
それなのに身内によって殺された人数がこれだけいたことを考えると
凄まじいまでの恐怖と緊張の日々だったと思いますが、そのすべては副長・土方の名の下で行われました。
「鬼の副長」
この呼び名は敵にはもちろん味方からも鬼のように恐れられ、蛇のように嫌われた土方にふさわしいものだったと思います。
そしてそのほとんどににおいて、土方は眉一つ動かさず同士達の最期を見届けたといいます。
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たまに「共感性」に乏しい人というのがいます。
人が苦しんでいようが、泣いていようが、なんとも思わない人間。
サイコパスとは言わないまでも、人の気持ちがわからない人というのは程度の差はあれ、世の中にはたくさんいます。
もしかしたら、私だってその一人かもしれません。
ただ、土方歳三はそうではなかった。
江戸郊外で暮らしていた頃の土方歳三は
「土方んトコロのトシがまたチャリ(冗談)を言いよる」
と近所でも評判の、周囲に笑い声のたえない明るい若者だったと言います。
京にのぼった後も、歳三から実家に送られてきた包みを家の者があけると、
そこには土方を慕うたくさんの女性から送られた恋文の束と一緒に
「報国の 心忘るる 婦人かな」
(国に尽くそうというこの気持ちを つい忘れてしまいそうになる それが女だ)
という、いかにも私が言いそうな 歌がついており、それをみた実家の人は
「トシの奴は、都に行っても相変わらずだなぁ」
と皆で笑っていたという、そういう青年だったようです。
また新選組崩壊後、昔なじみの仲間が皆いなくなってからというもの、ただひたすら戦う毎日を送る土方歳三。
そんな彼への兵達からの評価は新選組時代とはまったく真逆のものでした。
「土方先生は歳を経るにつれ温和になったのか、
よく若い部下達を飲食につれていったり、時には身の上の相談にのったりと、
彼を慕う兵達の姿は、まさに優しい母を慕う子ども達のようでした。」
と部下の一人は日記に書き残しています。
それ以外にも有名な有名な市村鉄之助のエピソードや宇都宮城攻略で斬り捨てた兵士に対する温情、これについては昔、このブログでも記事にしていました。
五月の桜 ~ やっぱり土方歳三が好きだ。| 軽妙洒脱(2009/3/26)
(そういや、これ書いた後、本当に函館に行ったんだった。五月の桜を見に。)
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信長のように心が冷たい人が残酷になることはそう大したことはないんです。だってなんとも思わないのだから。
ただ、土方歳三は決してそうではなかった。
新選組副長としてのたった数年間だけ、彼は「鬼」になった。
その前のもそのの後も明るく心優しい彼本来の人格が出ていたのだと私は思っています。
そしてそんな心優しき青年にとって「鬼」になることがいかに辛いことであるか、身を切られるような思いで考えます。
「すべては新選組を強くするため、近藤を大名にするため。」
それだけに全部捧げた、彼の青春だったのだろうなと思うわけです。。
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「この先私はどんなキツいことを言われたってめげないし、誰に嫌われたってかまわない。
仲間の命を奪わなければならなかった土方歳三の心中を思えば、蚊に刺されたほどの痛みもない。」
強くなりたいと思うのは、決して痛みを感じないような麻酔が欲しいわけじゃない。
のたうち回るような猛烈な痛みを、薄笑みを浮かべながら耐えられる強さ。
それが私の欲しい強さ。土方歳三がもっていた強さ。
西川貴教も、御剣怜侍も、たぶん私が憧れる人すべてがもっているそういう強さが私も欲しいものです。
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「俺は織田信長の生まれ変わりかもしれない。」
というようなことを真剣に土方歳三は言っていたそうです。
天性の戦のうまさと、新しい技術に対応する革新性、そして部下に対する非情さ。
実際、両者に共通する部分は多く、土方ならばけっして誇大妄想には聞こえないよなと思います。
しかし、私はやっぱり土方の方が好きです。
それはたぶん、彼が「弱い人」であったから。
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織田信長は「サイコパス」だったのではないか、という説があります。
サイコパスとは、Wikipediaによると
>精神病質(せいしんびょうしつ、英:サイコパシー、Psychopathy)は、反社会的人格の一種を意味する心理学用語であり、主に異常心理学や生物学的精神医学などの分野で使わている。
>三省堂の大辞林によると「性格が逸脱し、そのために社会を困らせたり自らが悩むもの。性格異常」とある。
>連続強姦殺人犯、シリアルキラー(連続殺人者)や、重度のストーカー、常習的詐欺師・放火魔、カルトの指導者の多くがサイコパスに属すると考えられている。
となっています。
信長は確かに天才であり、また統治者・為政者としては温情深い面を多分にもっており、小泉純一郎元首相が信奉していたことからわかるように、今での多くの人に支持される英雄であることにはかわりありません。
また同じ三英傑の秀吉・家康も時に「皆殺し」を命ずるなど残酷な処分を下すこともないわけではないので、それだけをもって信長を異常であったと判断するわけにはいきません。
ただ、信長は「血」を好んだ。
無抵抗の老若男女に対して鉄砲の一斉掃射で皆殺しを命じた時も、自分に敵対した勢力の捕虜を数十人単位で釜ゆでにする時も、自ら好んでその場に立ち会ったというのですから、たぶん人が苦しんだり、血を流したり、断末魔をあげる姿をみるのが好きだったのではないか、というのがその説の根拠です。
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土方歳三の剣は敵よりも味方に多くが向けられました。
敵前逃亡は切腹。
背中に傷をうければ切腹。
敵に傷を与えた上で取り逃がしたら切腹。
脱走は切腹。
武士にあるまじきは切腹。
新選組の鉄の隊規の下、粛清された同士はなんと50人にものぼります。
新選組の最盛期ですら200人程度しかいない組織で、かつ活動期間はたった数年。
それなのに身内によって殺された人数がこれだけいたことを考えると
凄まじいまでの恐怖と緊張の日々だったと思いますが、そのすべては副長・土方の名の下で行われました。
「鬼の副長」
この呼び名は敵にはもちろん味方からも鬼のように恐れられ、蛇のように嫌われた土方にふさわしいものだったと思います。
そしてそのほとんどににおいて、土方は眉一つ動かさず同士達の最期を見届けたといいます。
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たまに「共感性」に乏しい人というのがいます。
人が苦しんでいようが、泣いていようが、なんとも思わない人間。
サイコパスとは言わないまでも、人の気持ちがわからない人というのは程度の差はあれ、世の中にはたくさんいます。
もしかしたら、私だってその一人かもしれません。
ただ、土方歳三はそうではなかった。
江戸郊外で暮らしていた頃の土方歳三は
「土方んトコロのトシがまたチャリ(冗談)を言いよる」
と近所でも評判の、周囲に笑い声のたえない明るい若者だったと言います。
京にのぼった後も、歳三から実家に送られてきた包みを家の者があけると、
そこには土方を慕うたくさんの女性から送られた恋文の束と一緒に
「報国の 心忘るる 婦人かな」
(国に尽くそうというこの気持ちを つい忘れてしまいそうになる それが女だ)
という、
「トシの奴は、都に行っても相変わらずだなぁ」
と皆で笑っていたという、そういう青年だったようです。
また新選組崩壊後、昔なじみの仲間が皆いなくなってからというもの、ただひたすら戦う毎日を送る土方歳三。
そんな彼への兵達からの評価は新選組時代とはまったく真逆のものでした。
「土方先生は歳を経るにつれ温和になったのか、
よく若い部下達を飲食につれていったり、時には身の上の相談にのったりと、
彼を慕う兵達の姿は、まさに優しい母を慕う子ども達のようでした。」
と部下の一人は日記に書き残しています。
それ以外にも有名な有名な市村鉄之助のエピソードや宇都宮城攻略で斬り捨てた兵士に対する温情、これについては昔、このブログでも記事にしていました。
五月の桜 ~ やっぱり土方歳三が好きだ。| 軽妙洒脱(2009/3/26)
(そういや、これ書いた後、本当に函館に行ったんだった。五月の桜を見に。)
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信長のように心が冷たい人が残酷になることはそう大したことはないんです。だってなんとも思わないのだから。
ただ、土方歳三は決してそうではなかった。
新選組副長としてのたった数年間だけ、彼は「鬼」になった。
その前のもそのの後も明るく心優しい彼本来の人格が出ていたのだと私は思っています。
そしてそんな心優しき青年にとって「鬼」になることがいかに辛いことであるか、身を切られるような思いで考えます。
「すべては新選組を強くするため、近藤を大名にするため。」
それだけに全部捧げた、彼の青春だったのだろうなと思うわけです。。
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「この先私はどんなキツいことを言われたってめげないし、誰に嫌われたってかまわない。
仲間の命を奪わなければならなかった土方歳三の心中を思えば、蚊に刺されたほどの痛みもない。」
強くなりたいと思うのは、決して痛みを感じないような麻酔が欲しいわけじゃない。
のたうち回るような猛烈な痛みを、薄笑みを浮かべながら耐えられる強さ。
それが私の欲しい強さ。土方歳三がもっていた強さ。
西川貴教も、御剣怜侍も、たぶん私が憧れる人すべてがもっているそういう強さが私も欲しいものです。