昨日の話をさらに思考をすすめて見た!



・最適な判断 … 正しい結果がでる確率が高い判断


・正しい判断 … 正しい結果がでた判断



おお! なんというシンプルな図式!

      昨日のあの長い文章はなんだったんだろうか!(笑)


この前のらじお千里でも言っていましたが、最近の私ってこうなんですよ。



「判断に迷うことがない」ので

    逆に"決められない人"の気持ちがわからない。



昔は優柔不断だったんですよね。自分では何一つ決められないぐらい。



ただ、20代の後半ぐらいから劇的に変わったのは

      この辺をなんとなく肌で理解できるようになったから。


言い換えるなら、間違ったとしても後悔しなくなったから。




なぜ後悔しないかというとこう考えるようになったからなんですよね。



「あの時点において私がもちうる情報、経験、知識、勘、仮説、信念


 そのすべてを動員して最も"正しいと思われる判断"をした自信がある。


 もし今、その時と同じ状況が出現したとしても、必ず同じ判断を下すだろう。」



言い変えるならば



「自分はいつも"正しい確率"が最も高い判断をしてきた自信がある。


        自らができる最善を尽くしてきたのだから、あとは神の領分だ」



と常に"他責"というか"神責"といっていいのか

  要は心は常に「人事尽くして天命を待つ」状態にあるので後悔しないのです。



ただ、単純に人のせい・・・神のせい?にするだけじゃなく決断のたびに



「この選択をすれば、結果はこうなる」という情報

        が新たに加わったので、私の勝率はさらに上がるはず!



とポジティブにとらえるのでますます決断が怖くなくなるのです。



だって決断して、結果がでるたびに



「私の判断は正しかった! 素晴らしい!」


「この選択は失敗するという情報を得た! 次の勝率は必ず上がる!」



と、どっちに転んでもおいしいわけで。


  なので私は「決断する仕事」がむいてるんじゃないかなぁと勝手に思ってたり。



だから基本学生に対しても



 「君達は黙って私の言うことに従っておけばいいのだ」



みたいな感じをだすのも



「アンタ達とは今まで集めてきた情報の質と量がぜんぜん違う。


        この中では俺が一番、勝率の高い判断ができる自信がある。」



という自負のあらわれだったりします。




なので、私がちょこちょこといろんなことをやって失敗したり、たまに「おお!」とうまくいって喜んでたりするのは、それは私が人生をかけて「判断の勝率」をあげるトレーニングをしているのだなぁ、とご理解いただけたら幸いです。


そして、こういう考え方をすると「決断」が怖くならなくなりますので優柔不断に悩んでいられる方がいましたら、ぜひアタマの片隅にでもおいておいてくれたら、嬉しいなぁ。




というお話でした! それではまた明日!




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