前田慶次の甲冑・本庄繁長の甲冑・水原親憲の甲冑 | 征士のブログ

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■宮坂考古館(山形県米沢市)
前田慶次(前田利益・前田利太・前田利貞)所用
朱漆塗紫糸素懸威五枚胴具足南蛮笠式
http://www5.omn.ne.jp/~koukokan/tenji/kattyu.html

■樽平掬粋巧工芸館(山形県川西町)※基本的に非公開
前田慶次所用
朱漆塗白糸素懸威五枚胴具足
http://samidare.jp/dahlia/note?p=log&lid=134035
http://yaplog.jp/cafenagisa/archive/991
※同施設は甘糟景継の甲冑も所有

■井伊美術館(滋賀県彦根市)※見学には事前に電話予約が必要
前田慶次所用
朱漆塗紅糸威二枚胴具足獅噛前立朱塗頭形兜
http://www.ii-museum.jp/25nendo.htm
※旧・泉鏡花所属品(石川県個人蔵→滋賀県彦根市)
※非・常設展示の可能性あり

■個人蔵(所在不明)
伝前田慶次着領鉄笠
※山形県寒河江市個人蔵→逝世により遺族が放出。現在行方不明

■長谷堂合戦時の前田慶次の装備
「黒具足に猿皮の投頭巾(鉄金渋の甲/山伏頭巾の甲)をかぶり、袖のひろい猩々緋(赤い羅紗)の羽織を着け、背中には両筋を縫いつけた金の切裂きをたらしている。
衿には金のいらたか(ソロバン玉の様な不動明王の剣をあしらった)数珠をかけ、金の瓢箪でとめている。
乗馬である四尺七寸(141センチ)ばかりの河原毛の馬は野髪のまま銀の頭巾をかぶらせ、朝鮮(革編に秋、尾から鞍にかける紐飾り)をかけている。さらに乗替用の四尺二寸五分(128センチ)ばかりの太く逞しそうな鳥黒の馬に梨地の鞍を置き、段子のタクに糧米や干味噌を入れ、鞍には火縄銃二挺を装備してこれをひかせていた」
「(前田慶次は上杉景勝に下賜された)虎の皮を馬の鞍の押掛けに用いていた。また、腰にさげた小ふくべの緒には張枕を結わえ付けていた。
長谷堂城攻めが開始されると、慶次は虎の皮を敷き、枕を出して心地よさそうに眠ってばかりいた。周囲の者が咎めると、慶次は「味方の働きがあまりにゆるりとしているので、つい眠気をもよおした」と答えたという」
(撤退戦)「其日の出立は黒具足に猩々緋の羽織金のいらたか数珠に房には金の瓢箪を付たるを襟にかけ、鉄金渋の山伏頭巾の甲、十文字の鑓を持ち、黒の馬の野髪なるに金の山伏頭巾をかぶらせ、唐(革+秋)かけて乗り候馬より下立ち、前田慶次と名乗り懸り候」
『北越軍記(北越太平記)』『上杉将士書上』『可観小説』
「前田慶次―武家文人の謎と生涯」

前田慶次の遺品

茶器・武器

戦国武将甲冑総覧

本庄繁長の甲冑・木像
本庄繁長の兜・遺品
□本庄繁長の兜と軍旗

水原親憲の甲冑
水原親憲の兜
水原祭の復元甲冑

「上杉謙信・景勝と家中の武装」
※有名な直江兼続の甲冑の解説もあり。しかし掲載の無い甲冑もあり
※興味のある人には
「武田信玄・勝頼の甲冑と刀剣」
「織田信長・豊臣秀吉の刀剣と甲冑」
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