たった一度だけだけど

出雲ツアーのお風呂で

裸の付き合いをした

しんごちゃんのこの記事を

今朝偶然目にして

 

 

 

 

改めて

 

 

 

自分はカウンセラーで

ありたかったんだよな、と

今更ながら思いだした。

 

 

 

 

アランさ・・・

いや、しんごちゃんありがと。

 

 

 

 

ぼくは今も「心理カウンセラー」

と名乗ってるものの、

実際は全くと言っていいほど、

今「カウンセリング」はしてなくて

 

 

 

 

このリブログ記事の中で

アランさんが言ってる

「癒されたヒーラー」に

なるための5つの要素として

こんなことが書いてあって

 

 

 

 

①癒す意図を持つ

②癒す価値がある

③ビジョンを持つ

④癒すことに謙虚な気持ちでいる

⑤癒す行動をとる

 

 

 

 

 

この5番目を見たときに

なんか目が覚めたというか

 

 

 

なんで自分がカウンセラーに

なろうと思ったのかを

思い出したというか

 

 

 

 

癒す行動をとる。

 

 

 

 

ぼくがそもそも「カウンセラー」

になろうと思ったのは

サラリーマンを辞めた2年前

に急に思い立ったわけじゃなくて

 

 

 

小さい頃の家族の中でも

大きくなってからの友人関係の中でも

社会人になってから会社の中でも

ずっとカンセラーをやってて

 

 

 

それが好きで

それが自分にとって自然で

 

 

 

 

その中でも実は「カウンセラーになろう」

と思った決め手はぼくの昔からの親友が

 

 

 

「あわ屋は生まれながらのナチュラルカウンセラー」

 

 

 

ってぼくのことを

言ってくれたことがあって

 

 

 

言った本人はもう

覚えていないかもしれないけど

その言葉はぼくの心の

奥深くに根を張っていて

 

 

 

それから、10年以上も

経った後に会社員を辞めたとき

自然とカウンセリングの道に進んどった

 

 

 

でも、実際にカンセリングを

知識や技術として改めて学んで

実際に自分がカウンセラーになって

色んなカウンセラーを見るうちに

 

 

 

 

 

カウンセラー自身が

癒されていない。

 

 

 

ってことと

 

 

 

自分自身もいかに

癒されてないか。

 

 

ってことに気がついてしまった( ̄ー ̄;

 

 

 

それに気づいてしまってから

なんかカウンセリングが

出来なくなってしまったんよね

 

 

 

自分のやってることが

なんか嘘くさく感じてきて

 

 

 

こりゃ、人を癒しとる場合じゃねえぞ、と( ̄ー ̄;

 

 

 

 

だから、

まず人を見るより自分を癒そうと。

そう思って「敢えて」

人をカウンセリングすることは辞めた。

 

 

 

そもそも、カウンセラーに

なってからの方が

僕自身の傷はどんどん

表に上がってくるようになったし

 

 

カウンセラーになってからの方が

ほんとに色んなことがあって

 

 

 

手放していったものや

手放させられたもの

 

 

 

その「失ったもの」

ばかりに目がいって

苦しくて苦しくて

 

 

 

サラリーマン時代より確実に

感情の渦に飲み込まれることは多くなって

 

 

 

見ないようにしていた

自分の傷や闇をどんどん見せられて

ズタボロになってはいくし

 

 

 

お金は無くなっていくし

怒りはより激しくなるし

いきなり泣くようになるし

猛烈に落ち込むようになったり

 

 

 

これって・・・・

「病んでる」っていうんじゃないですかい?

って、本当に思ったしね(笑)

 

 

 

 

かつてのバリバリ働いてた

僕を知ってる友達たちは

本当に「あいつ病んだな」って

思ったと思うしね。

 

 

 

今はそれが「病んでる」

わけじゃなくてただ

「ふた」をしてたものが

出てきてるだけってわかるけど

 

 

 

最初の方は本当に

それがわかんなくて

「俺はだいぶヤベーんじゃねえか?」って

 

 

 

そう思ってるから実際に

周りからもそういう声が聞こえてきたり

 

 

 

だから、

「まず自分を癒さなければ」って

そう思って人を癒すことを

「敢えてやめる」ってことにした。

 

 

 

自分自身が「癒された存在」になれば

勝手に周りは癒されていく

って思ったからなんやけどね。

 

 

 

確かにそれもあるけど

何もしなくても「存在だけ」で

周りの癒しになる人もおる

 

 

 

赤ちゃんなんて

もろにそうやしね(^ ^)

 

 

 

でも、今回この「癒す行動をとる」

って言葉を見て改めて

 

 

 

「したいこと」「できること」

を敢えてやめる必要なんかないし

せっかくこの体が与えられてる以上

「行動」しないなんてもったいない

 

 

 

「したいこと」を

敢えてやめとるんやけね

もはやおかしなことなっとる

 

 

 

だから

 

 

 

敢えてやめてた「カウンセリング」も

これからやっていこうと思った。

 

 

 

「完全に癒されてるヒーラー」

なんていないのはあたりまえ

 

 

 

どころか、自分が傷があるから

「人を癒す行動」をしてる。

それで自分も癒してる。

 

 

 

完璧である必要はないって

そんなの当たり前の事なのに

「完璧主義」という言い訳が

僕をしないようにさせてたんだなと

 

 

 

「好き」を押さえ込まず

大好きなカウンセリングも

これからやっていきます!

 

 

 

まずは、初心に帰って

「お気持ち制」ぐらいから

もう一度始めてみようかな


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