カウンセラーとして最初に学んだことの一つに

「問題は解決しようとしなくていい」ってことがある

 

 

 

これって「他人の問題」を

ほっておくっていうのも

もちろんのことだけど

 

 

 

 

「自分の問題」もほっとく

っていうことの方が実は

勇気がいることなんですよね

 

 

 

 

え?

「問題」って解決するものでしょ?

「問題」なんてほっといたら

「もっと大きな問題」になるじゃない?

 

 

 

 

いや、それともやっぱり

ほっといたほうが解決する?

 

 

 

 

実は、これってどっちも

真実でどっちも正しい。

 

 

 

 

どういうこっちゃ?

 

 

 

えと、

なるべくわかりやすく

頑張ってみよ

 

 

 

 

この「ほっとく」っていう

コトバが勘違いしやすいんだけど

 

 

 

 

例えば「お金がない」という「問題」

がその人にあったとして

(問題と思ってるばあい)

 

 

 

 

ここでいう「問題」っていうのは

自分が「嫌だな」と思うこと

自分が「苦しさ」を感じる事で

なんとも感じてないなら

なんの「問題」でもないです

 

 

 

 

で、この「問題(くるしさ)」を

「解決(回避)」するタメには

多くの人がこう考えます。

 

 

 

「お金がない」状態が「お金がある」

になれば「解決(解放)」される、と

 

 

 

これは、なぜそう思うかというと

自分の「お金がないとういう状態」が

今の自分の「苦しさ」を生んでるって

そう勘違いしてるからなんですね

(勘違いっていいきっちゃいますね)

 

 

 

で、その通り

その「苦しみ」は

お金が入ってきたら

消えて無くなるのです♪

 

 

 

「お金がある状態」に

なったら消えて無くなる

 

 

 

ただ、安心もつかの間

また「お金のない状態」になると

また苦しくなってくるわけです。

 

 

 

だから、

またその「問題」を「解決」するために

「お金のある状態」に逃げるわけです。

 

 

 

働いたり、お金を借りたり

なんにせよ「お金のある状態」に

自分を持って行こうとする。

 

 

 

そして、また

「ある状態」になると

「問題」は解決する。。。。

 

 

 

ずっと、これの繰り返し。

 

 

 

 

解決してるようでも

いつまでたっても

根本的な「苦しさ」が消えない

 

 

 

 

でもさ?

 

 

 

 

そうわかってても

「ほっとく」ともっと

「問題は悪化する」から

 

 

 

「解決するための行動」を

なにかするしかないじゃない、と。

じゃないと「悪化」するから

 

 

 

そう、

「問題」は「ほっとく」と悪化します(笑)

(どっちやねん)

 

 

 

それってなぜかっていうと

「問題」と思ってるその「出来事」って

実はその「出来事そのもの」が

問題なんではなくて

 

 

 

その「出来事(例えばお金がない)」によって

感じてるその「不安」とか「焦り」とか

その奥にある恐れているもの

それが原因だったりします。

 

 

 

そもそもその「出来事(問題)」は

自分の中にあるその「恐れ」に

気づかせてくれるタメに

 

 

 

自分が用意したドラマみたいなもんで

そのドラマを通して自分の中に

「手放したい観念」があるんですね

 

 

 

「観念」っていうのは

簡単にいうと「思い込み」なので

別に思い込みはあってもいいんですが

 

 

 

ただ、自分にとって

「生き辛さ」や「制限」

を感じる観念はどこかで

「手放したい!」って思ってるわけです

 

 

 

がから、

色んな「出来事」を通して

「それ」に気づいて、それを

手放そうとしているわけです。

 

 

 

なのに、

「それ」を探そうとせずに

「出来事」の方を「問題」にして

それを解決する動きをしてしまうと

 

 

 

そもそも「何が」

自分に「苦しさ」を

生んでた「原因」だったか

がわからなくなわけです。

 

 

 

そして、

「それ」がわからなくなると

また「それ」を思い出すために

自分が苦しいと感じる「出来事」を持ってくる。

 

 

 

 

だって、

「それ」に気づいて

「それ」を手放したい

って心の奥底では思ってるから

 

 

 

 

だから、

 

 

 

「問題」は解決しちゃいけないんです。

「出来事」の方を解決しちゃいけないんです。

 

 

 

 

「出来事」の方を解決しちゃうと

「それ」がなんなのかまたわからなくなるから

 

 

 

 

解決する「行動」をする前に

まさにその「問題の渦中」にいるとき

まさにその「苦しさの中」にいるときに

 

 

 

 

「一体自分は何をこんなに恐れてるんだろう?」

「この状態の時自分のことをどう感じてるだろう?」

「どんな思い込みが自分を今苦しめてるだろう?」

 

 

 

 

とにかく奥に何かある

それを探す時間をちゃんととってみる

 

 

 

「なんか」不安

「なんか」怖い

「なんか」苦しい

 

 

 

というその胸のざわめきを

「なんか」で終わらせずに

見ないようにフタもせずに

楽しいことで「ごまかし」たりもせずに

 

 

 

正面から向き合ってみる。

 

 

 

そしたら漠然とした

その「怖れ」の奥に

自分を「苦しめる思い込み」

があるのに気づくことが出来る

 

 

 

 

どれが「思い込み」か?

 

 

 

 

全部です(笑)

 

 

 

基本、自分の信じてることは

全部「思い込み」です。

 

 

 

でも、いいんです

「自分が楽しくなる思い込み」

「自分がラクになる思い込み」

「自分の気持ちが軽くなる思い込み」

はそのまま持っておいたらいいんです。

 

 

 

 

だから、

出て来た「言葉」や「考え」の中で

「うわー、それ聞くと苦しいな」

「それ言われると苦しいな」って

ものだけを捨てていったらいい

 

 

 

それが「自分を苦しめる観念」だから

それは、全く根拠のないものだから

 

 

 

 

例えば借金に苦しんでる人は

「返さなきゃ💦返さなきゃ💦」

って気持ちにずっと

苦しんでる人かもしれません。

 

 

 

その場合「自分を苦しめる観念」は

「借金は返さなきゃいけない」

かもしれません。

 

 

 

え?そんなん

「思い込み」とかじゃなくて

「真実やろ!」って思うかもですが

これも立派な思い込みです。

 

 

 

 

事実この世の中には

「返さないでいい借金」

があるって知らない人が多い。

 

 

 

で、この「返さなきゃ💦」を

持ってる人というのは

そもそもその「返さなきゃ💦」

っていう波動をいつも出してるので

 

 

 

「返さなきゃいけない現実」を

ただ創り上げてるだけっていうね

 

 

 

 

「レンタルビデオ返さなきゃ💦」

「借りた傘返さなきゃ💦」

も原因は同じところから来てるかも

 

 

 

 

 

だから、この場合の「借金」は

あくまでその「返さなきゃ💦」の

象徴の一つとして現れてるだけで

 

 

 

この「観念」を持っていて

「返さなきゃ💦」の波動を

いつも出してる人は

 

 

 

お金以外でも例えば

「お礼を言わなきゃ」

「期待に応えなきゃ」

っていうような強迫観念

を持ってたりします。

 

 

 

 

だから、

「借金問題」なんではなくて

「返さなきゃ問題」なんですね(笑)

 

 

 

 

だから、そのおおもとの

「かえさなきゃ問題」に

気づかずに「借金」という

「お金」だけを解決しても

 

 

 

また同じ問題がくるっていう、ね( ̄Д ̄;;

 

 

 

 

応援してもらった分感謝を返さなきゃ、も

評価してもらった分期待に応えなきゃ、も

 

 

 

 

全部同じで、

全部繋がってる。