もはや、タイトルと違う話と

なっているのだが、

大阪公立大学工学部は

かような

エンジニアを輩出していると

分かってもらえればよい。


さて、

前回の話の続き

私は、松下冷機の技能競技大会で

1位となり、

松下全社の

「マイコン制御」部門の

技能競技大会に出場することに

なった。

私の作戦は学科試験で

アドバンテージを取り、

ハンダ組立はだいたいで済ませ

デバッグで勝負する予定だった

のだが、全社の強者相手に

それは、通用しなかった。

結果は6位…

あわよくば1位を狙っていたのだが、

さすがにそんな幸運は続かなかった。

と、

そんなこんなで

生産技術の研修期間が終わり、

私は制御が出来るやつという

鳴り物入りで

設計部の電気制御課に

正式配属されることになった。

私のプロエンジニアとしての

始まりだ。

私についた最初の指導係は、

カヌー部出身の人であった。

体力があり、

仕事上の知識も半端ねえくらい

あった。

ええか、

プログラムはな

入口一つ、出口一つを

意識しろっ!

それで一つのモジュールに

するねん。

あとはそれの組合わせや。

簡単やろ?

と、当時は

何を言ってるか

さっぱり分からなかった。

皆さんの身の回りにもいるでしょ?

なんかどこかの学者さんの言葉を

引用して、こ難しく説明する人。

彼はそんなタイプだった。

私は、

実務上のテクニック的なものを

その方から学ぶことになる。

そして、

冷蔵庫のコンプレッサ内部の

永久磁石を作る工程での

着磁装置の電気設計を

担当することになった。

これが私のプロデビューだ。

皆さんのご家庭にパナソニックの

冷蔵庫があったとしたら

私の装置が使われていた可能性は

なきにしもあらずだ。
(もうないな、25年前だ)

今日も長くなっちまった。

今日はここまで

おしまい