ある時

私は悟った。

妬み嫉み僻み

から逃れる方法を…


(スピリチュアル系
読み物ではございません)


それは、


無(む)だ。





「えーー、

なんで雨降ってんのに

洗濯もん中いれてくれてへんの?」

「むっ、そんなん知らんやん!」

の「む」ではない。 


「あれ?俺まだあの番組見てないよ!

消したん?」

「もう見たと思ったから消したよ」

「むむう…」

の「む」でもない。


チャラチャッチャチャラッチヤー

右から、右から何かが来てる

僕はそれを左へ受け流すーー

右からやってきたーーー

ムーディ勝山の

「む」でもない。



なにを言うーーー


早見優ーーーー


村上ショージの


「む」でもない。





ないないない


恋じゃない


の無だ。


祇園精舎の鐘の声は


諸行無常


つまり、音は


無くなるんだよ。


葉加瀬太郎が言ってたんだ。 


音楽は形に残らないじゃんって。


だから、なんにもないんだ。


妬み嫉み僻みなんて、


形ないものにそう感じてるのさ。


って


あかんあかん


スピリチュアル系になりそうだ。


答えも無いんだよ。


そして、


落ちもない。


そんなもんさ。


ね、


なにも残らないだろう?


空っぽなのさ


おしまい


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