あなたのお父さんはどんな人?

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 掌編・『父』
 
 
 父について、真っ向から、ドキュメント風に書いたことは、ブログ歴長いけど、ほとんどないです。
 
 生家は、紀州のずっと山奥で、「平家の隠れ里?」ではないかというような土地柄。
 初めて来た人は、だいたい「ずいぶん山奥に案外開けた集落があって驚いた」というような感想を漏らす。
 
 大勢に漏れず、父母にはコンプレックスがあって、そういうのを「エディプスの三角形」と、サイコアナリシスではテクニカルタームで言う。この「エディプス」というのはギリシャ悲劇かなんかの王様のことらしいです。フロイトが父親に対する葛藤をこう名付けた…
 
 で、人間の精神についての、いろいろな分析を、フロイトが始めて、たくさん弟子や亜流の人がぼこぼこ表れて?百花繚乱?みたいになり…そこは別として、よく参考にするのが「交流分析」というもので、人間の精神構造を5つに分けて考える。
 
 父親(P)、母‘(M)、自我(A)、いい子(DC)、FC(悪い子)の、5つ。
 
 精神が基本的にこの五つでできていて、どこかに偏っていると問題行動とかが生じるので是正する。エゴグラムというのを作って参考にする。認知行動療法とかに近いセラピーだと思います。
 
 まあ、読みかじりですが?この場合に、診断が、Aが弱い葛藤型、FCが弱い抑うつ型とか、そうなるらしいです。で、あまりにも自分は硬心というか、建前にこだわるとこあって、それがつまりフリーチャイルドを抑圧しすぎるからか?とか、
 
 ADULTがバランスよくなるためには父親的なものの影が薄くて、精神的にはまあ不在、だから反抗期が無くて?
 
 強い父親と感情移入しつつ葛藤を解決するプロセスが必要か?とか最近はそう自己分析しています。
 
 まあ、父は社会の体現で母は家庭の体現。父が闘争で、母が愛情。アル中でダメな父親を持った場合には子供も不適応になりがちらしい。アダルトチルドレンというのがそうですね?
 
 父は、割と複雑というか、非常に実務能力に長けている感じもあるし、うらはらに、マザコンめいた弱い感じも同居していた。
 谷内六郎という人の、子供時代の郷愁がテーマの幻想的な童画?が好きで額にしていたり、昔の童謡のカセットテープを買ったり、純真な少女のヌードのロリータ写真集を集めていたりしていた。(広言ははばかられるかな?)
 
 俳句が好きで、その動機も、自然とか故郷とか、家族とか、素朴な過去への愛慕が基調だったのかなと思う。
 
 そういう郷愁は、女の家族との別離みたいなトラウマから来ていたかもしれない、とか今なら想像できる。
 
 桑田佳祐さんも、歌詞ことごとくに亡くなったお姉さんへの哀惜がこもっているのは有名?かもしれないが、そういう肉親との別離とかが生涯の事件になっている人というのは普遍的かもしれない。ありふれたこと。
 
 父はまた、愛酒家で、依存症ではなかったが、一種の精神の弱さが飲酒嗜癖につながりうることは想像がつく。
 
 で、おおむな、父はむしろ平凡で、が、なかんずく父方はなんというかわりと知的なタイプの人物が多い感じで、しかし父は自負心みたいなものに葛藤は無くて?自信家で、「県会議員になりたい」とか酔った時とかはヒラの郵便局員なのに言っていたとか仄聞した。
 
 幼時の全能感が強い、で、依存症気味。そうして、かなりにヤクザっぽい個性ともいえた。子供のころは喧嘩して傷を隠すために横を向いて飯を食っているのが日常でw、いわゆる餓鬼大将。
 
 西村寿行という作家は、まさに父が好きそうなハードボイルド。スーパーマンみたいな超能力者が、酒好きなオッサンなのだ。で、社会と葛藤して、死闘を繰り広げる。動物が好きだったりして優しい主人公だったりするが?
 
 まあ、で、よく「パパ・ヘミングウェイ」とか言うけれど、「強くなければ生きていけない、…」父はそういう非常に男らしい人でもあった。昔気質の、優しい羊男?だったのだ。
 
 なのに、なぜか父はボクのことを放任して、愛情込めてしつけることを放棄していた。
 複雑な人なので、複雑な思いがあったのだろうが、自分のためには、親といえど、弱いものを犠牲にせざるを得ないとか?その時はそういう事情だったのかもしれない…とも思う。
 
 だが、兎に角、親はかなり屈折していても、そして子供の方もアンビバレントでも、お互いに深い愛情を持っていて、そうしてボクが後年いろいろと精神的に問題を持つようになったことも、一概に家庭に咎を負わそうとは?自分ではそう思えないですが、
 
… …
 
 父は父なりになんか特殊な個性の子供について、危惧懸念、いろいろあったとは思うけれど、結局凡人で、教養とかも中途半端で、田舎紳士には?世の中のヘンな潮流とかには手の施しようがなかっただけかとも思う。
 
 が、ボクも若い頃にもう少し現実社会で揉まれて、普通並みに成熟していたら、父との「卒琢同時の機」が訪れて、というか邂逅和解という、通常のプロセスで理解しあえたかもなーという気もします。
 
 往時茫々。