あなたのおふくろの味は?

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 この間に動画サイトを閲覧していたら、「なぜ猫ちゃんは可愛いのか」という話題があって、どこかの大学で研究をした人がいて、「猫がかわいいのは”ベビースキーマ”と呼ばれる身体的な特徴を具えているから」という結論に達したという、30秒ほどなのだが、そういう話をしていた。
 
 うろ覚えですが、つまりは、赤ん坊は母親の母性本能、保護本能を最も効果的に刺激惹起するために、そういう特有の特徴を具備していて、目が円いとか、丸顔とか、手足が短いとか、そういうのを”ベビースキーマ”と呼ぶのだそうです。
 
 赤ちゃんを養育するのは手間がかかるので、母に嫌われると、赤ちゃんはもとより、種族の存続とかそういう都合上も、赤ちゃんはできるだけ可愛らしいものでないと困るので、自然の摂理というか、見ているだけで思わず顔がほころぶような?新生児はそういう外形をしていて、で、たまたまなのか?猫にはそういう共通の愛らしい特徴が多いと…
 
 が、赤ちゃんはもちろんですが、猫ちゃんにも、「愛玩されないと飼ってもらえない」という生存維持上の必要があり、で、次第に(自然に?)より一層?かわいらしいものになっていったのかもしれない。
 
 必要は発明の母、と言うし、用不用説というのもある。いたずらにただ手をこまねいてばかりでないのはどういう動物でも同じで、馬鹿でも失敗からは学ぶし、固定観念も旧態依然も、最も忌むべき悪弊と思う。
 
 で、そういう学問的な分析、論理的な次元は、まあ表面の「可愛らしい」という現象、感情の、内在する意味の説明ですが、それは高邁な「造化の神」の次元で…現実には我々大多数その他大勢ただの匹夫凡夫…は、猫ちゃんはひたすらキュートでプリティの極致、母も子も、本能的に、恋い慕うだけで、却ってその間然するところがないような純粋さが尊い感じなので?なんだか裏腹で矛盾した現象にも思える。
 
 こういう自家撞着のようなことは、例えば「アダムとイヴがエデンの園を追放された」とか言うそういう故事のような、つまりは「知恵の木の実を食べて知恵がつきすぎた」故に生じる、何だか変な感覚かもしれない。
 
 造物主の意のままに、まったく何も余計なことを考えなければ?歴史というものすら発生しえなかったろうが、「赤ちゃんがかわいいのはつまり生き残るための智慧で…」とか理屈を言い出すのが、つまりややこしい不幸の元、そうも言える。かな?
 
 アインシュタインがいなければ、原子爆弾は発明されなかった?プロメテウスという火を発見した神が、残酷な刑罰を受けるという神話とかも、なにか科学や知恵というもの両義性というか、諸刃の剣というところを暗喩しているかもしれない。
 
 河合速雄さんというユング心理学者は、「子供がどうも精神的に自立できなくて、親御さんが甘いせいかなとは思う場合でも、実際にその親子に接してみると、あまりに親の情愛が濃やかで、とても一概に責めるわけにいかなくなる」ケースがままあるという述懐をしていた。