あなたの好きな言葉は?

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 かなり成長するまで、例えば小説とか詩を、「ことば」とか、「言語芸術」とかそういう発想は無くて、「言語の美」と、観念としてポエティックな表現とかを客観的に定義づけて?だから言葉それ自体の中にある「美感」、あるいは「強さ」?、値打ちという、視点に違和感すらある感じだったです。
 
 なんか、よく「発達〇碍」かな?とか疑う蒙昧さ、というか物わかりの悪いところの一環かも、ですが、心理学とか「学習」、「記憶」、「知覚」、「感情」、「知能」等々いろんな観念で精神機能を腑分け?するような発想にも若干違和感を感じた。
 
 子供だったので、いろいろな言葉やら観念に無知だっただけかもですが、「わかる」のは「わける」ことが語源らしくて、よく分析的知性と総合的な知性とか言うが?よく諺で「木を見て森を見ず」という、だから直観的に総合的に理解できていたことが、分析していって、別の様相を呈していくというような?そういう場合に違和感とか不安感を覚えるという、要するにいわゆる「メタ認知」という心理現象なのかもしれない。かなりくぁやふやですが。
 
 が、言葉を発する前に、そのもとになっている「何者か」「原型」のようなものがあって、という発想を書いている人は時々おられて、表現は違うが、言語に鋭敏な感覚を持っている人や著作家がなんとなく感じるだから”クオリア”的なものかな?違うか。
 
 作家のO氏は、「子供のころに感じたのは、言葉の前に”ホンモノのもの”があって…」といようなことを対談で言っていた。
 別のTという作家は「言葉を発するときにはいつもなんとなく否定の感情がある、という言語理論」に言及していた。
 翻訳家のYさんも、こういう能記と所記?シニフィエとシニフィアン?の間にあるなんだか矛盾したややこしい微妙な事情について、面白いエッセイを書いていたことがあったです。
 中上健次さんは「言葉に淫しすぎて自家中毒になる」とか書いていた。
 
  まあ、言葉というものは、もともと複雑になってきた人類の脳みその産物で、言語が高度で複雑になるからますます脳みそが複雑になって、とかそういう相乗効果はある感じですが?、「分裂病は心の病」と、中井久夫という精神科医は言っていて、言葉にこだわるあまりに弊害すら出るのが、人類一般の通弊であるか?
 
 実はボクは、しばらく前から、自分なりにこうした「言葉への複雑なこだわり」という人類病を逆手にとって、精神分析の応用と称して、セルフセラピーを考案実践しているのです…
 
(この項続く)