カット中は美容師さんと話す?

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 髪の毛の話ですか?というと、所ジョージさんのネタが思い浮かべてしまう。
 髪の毛がたくさんあってウザいので、
 「イッポン!(一本だけ)」(と言いつつ頭のところに手をかざす)ならいい、というのだ。(伝わってるかな)
 
 乱暴なサルグツワ?だが、全く無いのも寂しいので…という意味のあるのかもしれない。
 
 確かに頭部を保護する意味はあるかもだが、なくても生存に差支えはない。
 
 別のエッセイストは、眉毛ってなんのためか?と疑問を呈していた。
 「汗除けともいうが、眉毛のところで汗がぴったっと止まったことなんてないでしょうが?」とか素朴に不思議なのだそうで、一理ある?気もする。
 
 まあ、へそや尾てい骨は、明瞭に「痕跡」である。不要な器官が成長や進化の過程で消えていったその名残です。
 
 サルは毛が三本少ない、とか言うが、意味不明です。全身毛だらけなのに?
 そういえば、最も体毛が濃いのがペンギンとか、アシカ、ラッコとかの海獣類らしい。だったと思う。寒い海では体が冷えるのは禁忌、ご法度だろうなあ。
 
 閑話休題。
 
 で、あるものはしょうがない…ので、始末せざるを得ない。幼小の砌から、散髪は不断に、普段にしてきました。
 ごく小さい頃は、今は限界集落の生まれた村にもまだ人が多くて、ちゃんと飲み屋やら旅館、呉服屋すらあったとかで、散髪屋もちゃんとあって、(パーマ屋さんもあった)その店主の「タケやん」という人に刈ってもらっていた。
 
 なんかこう、渋いような濃いような?インド人ぽいような印象的な風貌の人だったです。
 声もしわがれ声で、今でもなんとなく覚えています。
 
 否応なしに、しょっちゅう床屋には行ったので?いろんな断片的な思い出がある。
 思い出というのは割と手持無沙汰で、所在ないような時間の何でもないこと、昔のエピソードが割と多いですよね?
 
 普段とは違った意識状態になるのかもしれない…あるいは記銘する時間の絶対値とか、イメージの変化の小ささ?そういう記憶の法則みたいなことゆえだろうか?これは今ちょっと思いついたことです。
 
 胸の前に縦じまの模様の前掛けをつけて、ひたすらじっとしている。鏡の前にじっといるということも普段はあまりない体験だし、所在なさからいろいろと雑念、想念に捉われる。
 
 … …
 
 刑務所に入ると賢くなるとかいう。
 
 ウォーキングしていてもそうだが、一人きりであれこれ思いを巡らす時間が、知的な能力の涵養には不可欠なのか?
 慌ただしく過ごしていると「思索」をしない。余裕もないし、他の刺激に気を取られる。酒を飲んでしまったり、テレビを観たり、ゲームしたり「KILL TIME」に逃避して安易に無聊を慰めてしまう。
 
 プルーストという作家は、コルク張りの防音室に閉じこもって、只管に完璧に雑音をシャッタアウトして、かの、二十世紀最高の小説と言われる「失われし時を求めて」という大長編ロマン?を執筆したという、そういう逸話があります。
 
 心理学の濫觴は「内観」で、衣食住の生活に余裕ができてきた現生人類が、精神、こころというものの不思議な性質に興味を覚えて、学問的に研究をし始めた。
 
 で、専攻した割には生半可やが、?その素朴な「内観」がどんどん進歩していって、精神医学や大脳生理学とか、「こころ」にかかわる百花繚乱な学問体系が構築されて行って、で、素朴だった人間精神への認識も、複雑多岐に精密進化してきた、していきつつある…
 
 だから自分にしても世界にしても、ぼんやりしていると全く何の変化もなくて、いたずらに劣化して、エントロピーが増大しておるだけみたいに思っているが?そういう絶望的な受け取りの方が病的な偏り、うつ病の症状で、主観の色合いを明るく保つことで、世界はまったく違った様相を呈する…例えばメジャーコードの音楽が鳴っていれば気分が全く違うように。散文的で乾涸びた人間関係に徒に頽落するのが地獄の陥穽で、鏡を見凝めて、実存的な素朴な一人称?瞑想を成すようにそこに沈潜する感じに戻ってみようか…?人間関係を捨象するための読書とか、やはり私にはそこが原点なのだ。他人とは地獄だ!
 
 あながちオレの頭が悪いとか、そういうことだけにすべてを帰納してしまおうというのが、短絡的で馬鹿げていて、諸悪の根源たる精神的ゴミの嚆矢であろう。