記憶に残っている学校の先生は?

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 「恩師」は、つまり、世話になった先生のことで、いろいろな先生の中でも、なんとなく特別な一人を言う場合が多い…気がする。
 
ですが、「反面教師」という言い方もあって、いい先生だけではなくて?いろんな人がいて当然、という当たり前の現実を知るのが学校の意義だと思う。
 動物は生後すぐ自分で立ち上がって、「本能的に」適応できて、なんの苦労もないみたいですが、人類は大変で、成人になるまで20年くらいかかる。無数にいろんなことを学習しないと生きていけないので、先生も学校も大変です。
 
 で、思い出深い「恩師」というと、中学校の時の担任の先生が、熱心で、非常に薫陶を受けたという印象がある。
 
 「鍛冶先生」といって、なんだか名前からしてスパルタみたいですが、?温顔で優しい感じだった。
 が、叱られたこともある。
 基本的に真面目で、熱心なのですが、なぜか人間性とかに疑問符が付くというそういう変な人物というところが当時から顕著で?(自分のこと)
 
 そういう自分を知るのにも、いろんな先生との葛藤が、通過儀礼みたいに必要だったとは思う?
 
 自分というもののなんだか変奇な個性については未だちゃんと悟達しているとは言えないですが、幾星霜を得て、かなり状況というか、社会やその他の内外の多くの事物について、認識が深まり、遠近法というか?新しいアイデンティティをリフレイミングできつつあるという気もしていて、だから自己形成の過程の様々なオカランス、トピック、そういうものも再解釈して、ぐちゃぐちゃになった人生やら精神やらを再構築し直そうとし始めているところなのです。
 
 で、先生のことですが、非常に賢い先生だったという、そういう評判の人で、子供さんは筑波大と東工大に進んだとか?
 20代のころにはもう家を建てていました。😲
 
 その先生が「一番賢かった生徒」として、精神病のヒキニートになってしまったボクのことを話していてくれていたというのを後年に仄聞して、なんだか複雑でやりきれないような?思いがしました。
 
 ですが、まあ、アルコール依存症も軽快してきたので、軽快なフットワークで?また春から頑張ろうと思います(`・ω・´)b