抜け出したくなる瞬間は?
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私は、163代目の引田天功。
今は西暦2514年です。
未来…この小説を読んでいる人からすると490年後の遥かな未来では、おなじみの「脱出」という奇術も、昔とは全く違っています。
もう、生き物はすべて死に絶えていて、世をを構成する要素は、サイキックパワーとメカニックだけになっている。
数えきれない変転というか様々な出来事の末に、千変万化の有為転変が極まった末の今です。
末世というより、不思議なホオスタシスメの静かな安定感が支配していて、恒常的に通常の日常が継続し続けている…
涅槃、ニルヴァーナというのはこういう感覚なのだろうか?
ですが、電脳空間に抽象的に存在し続けている意識だけの存在である未来の人類は、よけいな煩いや不安からは解放されていて、人生の目的は、存在としての道徳的、理知的な純化、だけなのです。
だから古今東西の人類の文化的な遺産、精神という知的存在のレゾンデトルの上澄み?、精華の成果。
エッセンシャルなアートとか、フィロソフィー、そういうもっとも高尚とされている”よきもの”?そういうものの極致?
それだけを、帰納して演繹して、精神の向上や成長のための糧として、昔の人類とは全く違った時間を過ごしています。
時間のパラメターすら、相対化されて久しい…
だから、あらゆる価値観や概念や、種種の人生的な要素の中で、「何を嗜好して、どういう自己イメージを目指すか?」そういう人格の完成?における中心的な目標?そういう面で個人差がかろうじて現れる、そういうかなり、490年前とは趣の違う世の中になっているのです…