神秘的な体験をしたことは?

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掌編小説・『E.T』
 
 宇宙というものは俯瞰しうるものであろうか?
 
 無限で、「夢幻」でもある、限りないイメージの根源、そして淵源である宇宙。
 時間軸と空間軸の函数。その無限数の幻視。鏤められた無数の星。星団。銀河。
  
 おそらくは無数のユニークな文明や生命体が消長流転しているであろう「宇宙」。その全体像を地球の人類ごときが、ごく漠然とでもイマジネーションすることが可能であろうか?
 
 宇宙の「宇」は時間の謂い。「宙」は空間の謂い、である。壮麗な大宇宙にはいったいどれほどの、どういう文明や生命が息づいているのであろうか?そもそも文明、生命、そうしてこの大宇宙全部の”レーゾンデートル”は何なのであろうか?
 
 ボブ・ディランの「風に吹かれて」という唄はこう唄う。
 
  How many roads must a man walk down
  Before you call him a man?

  How many seas must a white dove sail
  Before she sleeps in the sand?
  Yes, and how many times must the cannonballs fly
  Before they're forever banned?

  The answer, my friend, is blowin' in the wind
  The answer is blowin' in the wind

  Yes, and how many years must a mountain exist
  Before it is washed to the sea?
  And how many years can some people exist
  Before they're allowed to be free?
  Yes, and how many times can a man turn his head
  And pretend that he just doesn't see?

  The answer, my friend, is blowin' in the wind
  The answer is blowin' in the wind

  Yes, and how many times must a man look up
  Before he can see the sky?
  And how many ears must one man have
  Before he can hear people cry?
  Yes, and how many deaths will it take 'til he knows
  That too many people have died?

  The answer, my friend, is blowin' in the wind
  The answer is blowin' in the wind

 

  この世はわからないことだらけ

 

  男になるために必要な経験の数

  地上で安らげるまでに鳩が越えなくてはならない海の数

  撃ち尽くされるまでに砲撃される弾丸の数

  海に還るまでに山が波に洗わなければならない年数

  人々が自由になるまでに生きなければならない年数

  見えないふりをするためにそっぽをむいていなくてはならない回数

  空を見るために上を見上げるべき回数

  人々の泣き声を聴くために必要な耳の数

  あまりに多くの命が既に犠牲になっていることが理解されるまでに失われる命の数

  

  友よ。

  答えは杳として知れない

  

  ただ風が吹いているのみ…

 

 

 <訳詞・夢美瑠瑠>
 
 そう、分からないことだらけなのだ。
 生老病死、四苦八苦、一切悉苦。
 森羅万象が謎であって、答えがあるのかないのかもわからない。
 「わかる」とは「分ける」が語源なのだろうが、体をいくら切り刻んで「腑分け」しても生命の謎は解き明かされない。細胞の一個においてすら、なぜ、どうやって生じたかすらよくわからないのが現実である。
 
 生命は40億年かかって進化してきて、科学というものを手に入れて、宇宙や生命、万物の正しい在り方、その実相に迫りつつある。
 気の遠くなるような長い道程、プロセスを経て、地球の表面に生じた苔のようなものだった生命が、万物の霊長となって、いわば神のごときものになって、偉大なる叡智の化身となった。
 
 その叡智の広大さ、深遠さ、可能性、全体像、どれも空漠とはしているが、空前絶後の途轍もない奇跡のようなものなのは確かだろう。
 
 人間のイマジネーションには限界が無い。英語で言う「イオン to イオン」、天壌無窮、計り知れないほどに「エレガントな」アインシュタインのごとくに、唯一無二の一期一会の貴重でかけがえのないものが人間の知性、脳髄であろう。
 
 それをもってしても尚且つ、「宇宙」の謎は不可知の次元にあるように見えて、人類が宇宙について解き明かしたと言える事実は圧倒的に微小である。僕にはそう見える。
  
 いったい宇宙とは何なのか?
 なぜこんなにもわけのわからないことだらけなのか?
 そうした謎が最終的にすべて明るみの元に引き出される日は来るのだろうか? 
 
 ミクロコスモスが人体、人間存在。
 マクロコスモスは大宇宙。
 
 その融即、合一した究極の悟りの境涯を表現したものが「AUM」、梵、である。
 オーム真理教でケチはついたが、21世紀も20年を過ぎて、もっとスピリチュアルな面での人類的な進化、脱皮というのか?種としての精神面での洗練やステージのヴァージョンアップ?が必要なそういう、ETVの番組ではないが、”こころの時代”の「realization」が到来すべきではないか?
 
 E・Tは未だ人類の前に姿を現さない。が、僕はこういう想念をつらつら弄んでいると、いつもE・Tとの「現実の」第三種接近遭遇、「未知との遭遇」がそうしたすべての謎を人類に解き明かしてくれるという、そういう日の訪れを幻視するような、それは一種敬虔な、宗教的とも言えるような?祈り、厳粛な感情に襲われる。
 
 そうして、意識の高い人類の一人なら、きっとこういう気分を共有しているに違いないと思うのである…
 
<了>